1999-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『君を忘れない』

1999年に死亡したパーシャンボールドの父パーシャンボールドは、全盛時には英愛種牡馬ランキングの5位に入り(1991年)、種牡馬としてはかなりの成功を収めた。父とそっくりということで伊達氏の眼にかなったパーシャンボーイも、そう質が高いともいえない繁殖…

『夜が明ける直前に』

産駒たちの活躍によって種牡馬生活にようやく光が射し始めたその瞬間、パーシャンボーイの運命は暗転した。 初年度産駒が活躍し、特にパーシャンスポットが5歳になってからもGlllで2度2着に入ったことで、1994年のパーシャンボーイへの種付け希望は順調に集…

『戦いいまだ終わらず』

現役を引退したパーシャンボーイは、新冠で種牡馬生活を送ることになった。パーシャンボーイの初年度の種付けは40頭であり、それ以降も39頭、36頭の繁殖牝馬を確保した彼の人気は、多頭数交配の技術が発達していなかった当時としては、決して悪くないものだ…

『残酷な運命』

こうして宝塚記念制覇を果たしたパーシャンボーイは、その後は放牧で春の戦いの疲れを癒し、秋には復帰してジャパンC(Gl)、有馬記念(Gl)を目指すとされていた。高松師は、1983年ジャパンCにキョウエイプロミスで挑み、2着に敗れている。「世界の夢を見たい。…

『外国産馬Gl初制覇』

同じようなタイミングで仕掛けたパーシャンボーイとメジロトーマスの決着は、馬体を合わせての叩き合いに持ち込まれた。メジロトーマスも、天皇賞・春(Gl)で2着に残った実績がある馬であり、そう簡単に脱落はしない。・・・だが、メジロトーマスは典型的なヨ…

『勝負が動く刻』

「行くなと言ったら、絶対に行かない。行けと言ったら、バーッと行く。人間の意思の伝達の分かる馬」 パーシャンボーイをそう評したのは、高松師である。高松師が太鼓判を押したとおり、パーシャンボーイは柴田騎手の意思を受け、前との差をつめにかかった。…

『天皇賞馬の異変』

伊達氏らが見守る中で、パーシャンボーイとその他16頭の宝塚記念は始まった。スタートしてすぐに先頭を奪ったのは、大方の予想どおり、ヤマノスキーとなった。ヤマノスキーは、当時の大レースでは必ず先導役を務めて、最後に失速するという役回りを演じる個…

『ひそやかな期待』

宝塚記念を前に調子を上げるパーシャンボーイは、直前の調教がまた凄かった。栗東に乗り込んでの追い切りで、芝のラスト3ハロン33秒0という驚異のタイムを叩き出したのである。高松師は、パーシャンボーイの仕上がりを見て、馬主の伊達氏に「宝塚記念は狙え…

『夏の乱気流』

この年の宝塚記念の出走馬をみると、例年の顔ぶれに比べて豪華さという点からは見劣りがしていた。絶対皇帝・シンボリルドルフの引退によって競馬界に訪れた戦国時代は、ミホシンザンの故障、シリウスシンボリの海外遠征などによってさらに混沌としたものに…

『悲運』

やがて日本へと降り立ったパーシャンボーイは、デビューのための育成を経て、美浦の名門・高松邦男厩舎へ入厩することになった。高松厩舎と伊達氏は古くからの盟友関係にあり、高松師の父である高松三太師の時代の名馬であるアローエクスプレスに関する数々…

『日出づる国へ』

パーシャンボーイは、1982年4月18日、競馬の本場・英国にあるダンチャーチ・ロッジ・スタッドで生まれた。パーシャンボールドを父に、英国の2勝馬クリプトメリアを母に持つパーシャンボーイは、パーシャンボールド産駒としては3世代目にあたる。 日本でのサ…

『父の代役』

パーシャンボーイを日本へ買い付けてきたのは、アローエクスプレス、ブロケード、ファンタストなど多くの名馬たちの馬主として知られ、近年でも1999年の桜花賞(Gl)勝ち馬プリモディーネを送り出したオーナーブリーダーの伊達秀和氏である。 伊達氏がパーシャ…

『忘れられた馬』

1998年夏、日本の競馬界は、2頭の日本馬による海外Gl制覇というニュースに酔いしれた。日本で調教されたシーキングザパール、タイキシャトルという2頭のサラブレッドが相次いで欧州へ遠征し、シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞(国際Gl)、タイキシ…

■第018話―哀しき時代の先駆者「パーシャンボーイ列伝」

1982年4月18日生。1994年4月2日死亡。牡。黒鹿毛。DunchurchLodgeStud(愛国)産。 父PersianBold、母Cryptomeria(母父Crepello)。高松邦男厩舎(美浦)。 通算成績は、11戦5勝(4-5歳時)。主な勝ち鞍は、宝塚記念(Gl)。 『外国産馬はGlを勝てない』 ―…

『脇役なるが故に・・・』

引退して種牡馬となったスズカコバンは、Gl勝ちがあるとはいえ、競走成績が今ひとつインパクトを欠くものだったため、種牡馬としては苦戦を強いられるかに見えた。しかし、スズカコバンは活躍馬を次々と出すことによって、自らの活路を開いていった。 当初、…

『最後の戦い』

宝塚記念(Gl)制覇の後のスズカコバンは、故障に見舞われたこともあり、なかなか実力を発揮できない日々が続いた。宝塚記念を勝ったことで「西の総大将」といわれるようになった彼だったが、実際には宝塚記念を勝つ前と同じように、惜敗続きの超二流馬に戻っ…

『我らが勝利者たち』

先頭に立ったものの、限界に達しようとしていたスズカコバンに対し、もの凄い脚で後方の馬群を抜け出し、襲いかかってくる馬がいた。レース中ただ1頭、スズカコバンのさらに後ろでスタミナを温存し、仕掛けも最後の最後まで遅らせて末脚勝負に賭けていた後門…

『栄光のゴールを目指して』

そんな膠着状態に入り込んだレースを最初に動かしたのは、1番人気のステートジャガーだった。産経大阪杯ではマクり気味に進出し、そのままゴールまで押し切ったステートジャガーは、この日も大阪杯の再現を狙って第3コーナー付近から一気に進出を開始した。 …

『膠着する戦況』

この日のレースは、ウィンザーノットの単騎逃げから始まった。後に函館記念(Glll)連覇などの実績をひっさげて種牡馬入りしたこの馬自身、当時の競馬界では常に「未完の大器」として語られていた。 しかし、ウィンザーノットはこの日が休養明け9ヶ月振りの実…

『千載一遇の時』

天皇賞・春(Gl)3着の後、スズカコバンは宝塚記念(Gl)へ向かうことになった。もっとも、当時の中長距離戦線は、既にシンボリルドルフ一色となっていた。天皇賞・春でミスターシービーとの決着を完全につけたシンボリルドルフにもはや「対等のライバル」はなく…

『激しき時代の中で』

6歳になったスズカコバンに対し、時代はさらなる苦難を強いた。勝つ、ただそれだけのことがこれほどに難しいことだとは、思いもしなかったことだろう。だが、6歳になった彼が歩む中長距離戦線には、1歳年下の三冠馬であり、「絶対皇帝」と称されたシンボリル…

『勝つことの難しさ』

しかし、その後のスズカコバンは、様々な悲運にも見舞われて、順調さを欠いてしまった。菊花賞を見据えて勇躍向かった京都新聞杯(重賞)で、スズカコバンはレース中に眼に外傷を負い、実力を発揮しきれないまま、カツラギエースの5着に敗退してしまった。おま…

『一線級への飛躍』

日本ダービーで一線級との力の差を見せつけられたスズカコバンは、その敗北を機に、飯田騎手から田島良保騎手へと乗り替わることになった。スズカコバンは追ってもなかなか反応しないズブいところがあったため、腕っぷしが強く、直線でも馬を強く追うことが…

『若き日の挫折』

スズカコバンが入厩することになったのは、栗東の小林稔厩舎だった。小林師は1999年に調教師を引退したが、その時までに通算899勝という実績を残した。1996年には、フサイチコンコルドで日本ダービーを勝っている。 ただ、「西高東低」が当然のようになって…

『悲運を乗り越えて』

ところが、スズカコバンはその欠点ゆえに大きな危機を迎えることになってしまった。当歳の秋に野性の命じるままに遊んでいたスズカコバンは、勢い余って電柱を支える鋼線にぶつかった際、胸前に深い傷を負ってしまったのである。 この時の傷は、筋肉の断裂を…

『マルゼンスキーの代表産駒』

父マルゼンスキー、母サリュウコバンという血統とともに生を受けたスズカコバンは、生まれてすぐにその素質を認められるようになった。彼を見に来たある調教師からは「マルゼンスキーの代表産駒になれる器です」と太鼓判を押してもらったほどで、馬主もすぐ…

『素晴らしき牝系』

スズカコバンは、北海道の平取・稲原牧場で生まれた。稲原牧場といえば、近年ではサイレンススズカの生まれ故郷として有名になったものの、当時はそれほど有名な牧場ではなかった。・・・というより、スズカコバンは平取で生まれた初めてのGl馬である。 稲原…

『西の名脇役』

いつの時代、どこの競馬にも「名馬」と呼ばれるサラブレッドがいれば、「脇役」と呼ばれるサラブレッドがいる。「名馬」がすべてのファンから強さを認められ、畏敬を捧げられる存在だとするならば、「脇役」はそうした存在とはまったく異なる。「名馬」と異…

■第017話―脇役なるが故の愉悦「スズカコバン列伝」

1980年3月16日生。牡。黒鹿毛。稲原牧場(平取)産。 父マルゼンスキー、母サリュウコバン(母父ネヴァービート)。小林稔厩舎(栗東)。 通算成績は、34戦7勝(旧3-7歳時)。主な勝ち鞍は、宝塚記念(Gl)、京都大賞典(Gll)2回、神戸新聞杯(重賞)。 ―そ…

『むかしがたり』

終わってみれば、「シンボリルドルフ世代」のうちシンボリルドルフ自身を除くと、世代混合Glを勝ったのはスズパレードだけということになった。彼らは単に世代混合Glを勝てなかったというにとどまらず、シンボリルドルフとの対戦成績からいっても、1歳上の「…