1998-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『獅子の魂、いまだ死せず』

自らは種牡馬として大成功を収めたマルゼンスキーだが、その直系は現在、断絶の危機にある。マルゼンスキーの子供たちは、ホリスキーやスズカコバンを見ればわかるように、種牡馬としてそこそこの成績は残すものの、Gl級の後継馬を残すことができないまま高…

『現実という嵐の中で』

AJCCを最後に現役を引退することが決まったレオダーバンは、その後CBスタッドで種牡馬入りすることが決まった。レオダーバンの引退後も競走生活を続け、3度目の骨折を乗り越えたトウカイテイオーが奇跡の復活を遂げたこの年の有馬記念と同じ時期に、レオダー…

『獅子にかつての光なく』

レオダーバンは、奥平師ら関係者の必死の努力によって、何とか実戦に復帰した。しかし、復帰後のレオダーバンは、もはやかつてのレオダーバンではなかった。 レオダーバンの復帰戦は、故障前のレオダーバンが目標としていた有馬記念からちょうど1年後になる1…

『早すぎた挫折』

この年の有馬記念の大本命馬は、前年の菊花賞(Gl)、この年の天皇賞・春(Gl)を制し、天皇賞・秋(Gl)でも後続に6馬身差をつけて1着入線(降着)を果たしたメジロマックイーンとみられていた。だが、岡部騎手はレオダーバンについて「中距離ならマックイーンとも…

『暫定王者の悲哀』

こうして菊花賞馬となったレオダーバンだったが、その実力に対する評価を歴代菊花賞馬たちと比べた場合、お世辞にも高いとはいえない状況だった。レオダーバンの勝ち時計は3分9秒5と1976年のグリーングラスの時以来の遅い時計だったし、何といっても彼の勝利…

『若き獅子の咆哮』

計算し尽くされた岡部騎手の騎乗は、見事に結果となって表れた。超スローペースで馬群が団子状態となったまま第4コーナーまで押し寄せたこのレースは、完全な直線での上がり勝負となったのである。・・・スタミナに不安がある半面で、瞬発力を武器としていた…

『名手の魔術』

この日のレースはフジアンバーワンが引っ張り、非常にゆったりとした展開になった。1200m通過時点で1分15秒2というラップは、前年のメジロマックイーンが制したレースの流れと比べると、実に2秒6も遅い超スローペースだった。 これは、行きたがる気性のレオ…

『本命なき戦い』

もっとも、レオダーバンに懐疑的な見方が広がっていく中で、岡部騎手だけはレオダーバンの成長を確信していた。「結果は負けたけれど、内容は悲観するようなものじゃないよ」 セントライト記念をこのように評した岡部騎手は、果たしてこのレースの中から、何…

『不安と不信の中で』

トウカイテイオーがいなくなってみると、ダービー2着のレオダーバンは、当然ながら菊花賞の有力候補の1頭に数えられることとなった。この時点での彼の戦績は5戦3勝2着1回という安定したものであり、ダービーでもトウカイテイオーの次にゴールしたのはレオダ…

『菊花賞戦国絵巻』

ダービーがトウカイテイオーの完勝に終わったことで、競馬界の関心は、秋の菊花賞戦線へと移っていった。しかし「菊花賞を勝つのはどの馬か」を考えるには、トウカイテイオーのダービーがあまりにも鮮烈すぎた。 皐月賞よりダービーで、より強い競馬を見せた…

『永遠の敗北』

トウカイテイオーが、自分の勝ちパターンとなる好位からの競馬で直線の抜け出しを図ったのに対し、後方からの鋭い末脚を武器としていたはずのレオダーバンは、中団よりやや前でレースを進めた。東京競馬場の直線は長いが、世代の一流馬が揃うダービーでは、…

『夢の舞台』

第58回東京優駿(Gl)の1番人気は、当然のように、不敗のままで皐月賞を制したトウカイテイオーだった。もともと皐月賞の上位馬は、ダービーでも上位に来ることが多い。しかし、この年の皐月賞上位馬については、ことトウカイテイオーとその他に関する限り、皐…

『我、府中に立つ』

華やかな戦いの舞台に立つことは、一流馬の特権である。皐月賞で悔しい思いをしたレオダーバンだったが、そんな思いはもうたくさんだった。既に2勝を挙げているレオダーバンの次走は、当然のことながらダービーへのステップレース・・・奥平師が次走に選んだ…

『帝王の伝説』

この年の皐月賞馬となったトウカイテイオーは、日本競馬史上唯一、不敗のままクラシック三冠を達成したシンボリルドルフの初年度産駒だった。シンボリルドルフは通算16戦13勝2着1回3着1回、レース中の故障に泣いた海外での1戦を除くと、ほぼ完璧な成績を残し…

『ガラスの脚』

しかし、そんなレオダーバンの生涯唯一のダート戦は条件戦、しかも目立った相手もいなかったにも関わらず、4着に破れてしまい、奥平師はこの日のレースを限りに、レオダーバンのダート適性に見切りをつけざるを得なくなった。素軽いスピードが身上のレオダー…

『双葉より芳し』

生まれたばかりのレオダーバンは、生まれながらに脚部不安を抱えていた。マルゼンスキー産駒の特色として「走る子ほど脚部不安に悩まされやすい」という点がある。マルゼンスキー自身がそうだったように、その代表産駒となった子供たちも、多くが脚部不安に…

『偉大なる父』

レオダーバンの父となるマルゼンスキーは、ある程度の競馬ファンにならば説明を要しないほどの名競走馬にして名種牡馬である。「最後の英国三冠馬」Nijinsky ll産駒の持込馬としてデビューした現役時代も通算成績8戦8勝の戦績を残し、朝日杯3歳Sで大差勝ちし…

『夢を見るもの』

レオダーバンは、伝説の名馬マルゼンスキーと、1勝馬シルティークとの間に生まれた子である。 シルティーク自身は、中央競馬で1勝を挙げたに過ぎない二流馬だったものの、古くはビューチフルドリーマーまでたどり着く由緒正しい牝系、そして早田氏自身が導入…

『残されたもの』

しかし、いい繁殖牝馬と高い種牡馬を持てば、たちまちいい成績を上げられる・・・というわけにはいかないのが馬産の難しいところである。モミジの子供たちはなかなか勝てず、ヴァイスリーガルに至っては失敗といっていい成績しか残せなかった。彼らへの期待…

『内地から来た大ぼら吹き』

早田氏がモミジの稼いでくれた資金を元手として新冠に開いた牧場・・・それが早田牧場新冠支場である。早田家にしてみれば、文字どおりの「出家」ではないにしろ、跡取り息子が福島を離れて北海道に牧場を開いてしまったのだから、山伏の予言がまったく的外…

『彼を生み出した男』

レオダーバンの生まれ故郷である早田牧場新冠支場は、もともと福島に本拠地を置いていた早田牧場の長男だった早田光一郎氏が、サラブレッドの生産に本格的に取り組む夢を実現するため、北海道に渡って開設した牧場である。「新冠支場」というと、さらに大き…

『兵どもが夢の跡』

2002年12月、日本の競馬界に、凄まじい衝撃とともにひとつの情報が流れた。1994年の三冠馬ナリタブライアンをはじめとする90年代の名馬たちを数多く生産してきた早田牧場新冠支場を含む早田牧場の経営が破綻し、グループ企業のCBスタッドなどとともに、札幌…

■第005話―獅子の魂、運命に抗する「レオダーバン列伝」

1988年4月25日生。牡。鹿毛。早田牧場新冠支場(新冠)産。 父マルゼンスキー、母シルティーク(母父ダンサーズイメージ)。奥平真治厩舎(美浦)。 通算成績:9戦4勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍:菊花賞(Gl)、青葉賞(OP)。 かつて彼を取り巻いた多くのも…

『中央と地方の狭間で』

近年の傾向として、中央競馬と地方競馬の交流は著しく進むようになった。97年に導入された統一グレード制により、中央馬の地方遠征もいまや珍しいものではなくなった。さらに、地方馬が地方在籍のまま、中央の統一グレードレースはもちろんのこと、クラシッ…

『運命の暗転』

脚質もそれまでの追い込み一辺倒から脱却し、新たな距離適性を開拓したドクタースパート陣営は、翌年の天皇賞・春(Gl)に向けて意気あげる結果となった。・・・しかし、彼らが抱いた希望が実を結ぶことはなかった。ドクタースパートは、両前脚に屈腱炎を発生…

『予兆なき復活』

天皇賞・秋(Gl)でいいところなく12着に敗退したドクタースパートは、次走をステイヤーズS(Glll)に定めた。ステイヤーズSは中山の芝3600mで行われ、障害を除けば、中央競馬で最も長距離の重賞となっている。それまでのドクタースパートが走った最長距離が、4…

『先の見えぬ闇』

こうして皐月賞馬となったドクタースパートだが、その後の彼を待っていたのは、あまりに長いトンネルだった。 皐月賞に続く日本ダービー(Gl)では、波乱となった皐月賞の結果が例年のように直結するとはみてもらえず、1番人気が重賞未勝利のロングシンホニー…

『―おめでとう』

しかし、ゴール前で猛然と追い込んできたのは、的場騎手が恐れていたサクラホクトオーではなかった。前走の400万下(現500万下)を勝ち上がったばかりで、重賞初挑戦を皐月賞に持ってきたウィナーズサークルだった。過去に挙げた2勝はいずれもダートでのもので…

『迫り来る影』

スタート当初は中団からの競馬になったドクタースパートだったが、この日は徐々に前方へ進出を開始していった。この大切なレースで、最悪の馬場状態は、ドクタースパートに味方していた。サクラホクトオーをはじめとする他の馬たちは、馬場を苦にしてなかな…

『夢を背負って』

皐月賞(Gl)当日、ファンは3歳王者の実力を信じ、弥生賞で惨敗したサクラホクトオーを1番人気に支持した。ドクタースパートは3番人気となった。 だが、レース当日の中山競馬場は、弥生賞ほどではないにしても、馬場状態は最悪に近いものだった。弥生賞のよう…