『ガラスの脚』

 しかし、そんなレオダーバンの生涯唯一のダート戦は条件戦、しかも目立った相手もいなかったにも関わらず、4着に破れてしまい、奥平師はこの日のレースを限りに、レオダーバンのダート適性に見切りをつけざるを得なくなった。素軽いスピードが身上のレオダーバンに、力のいる馬場は向いていなかったようである。同じマルゼンスキー産駒でも、無尽蔵のスタミナとパワーで鳴らしたホリスキーと比べると、レオダーバンはまったくタイプが異なっていた。レオダーバンがダートのレースを走ったのは、この日が最初で最後となった。

 その後、ソエを発症して放牧に出されることになったレオダーバンは、3ヵ月後にようやく復帰した。自己条件の山桜賞で芝に戻り、切れ味あるスピードを生かせる舞台に戻ってきたレオダーバンは、岡部幸雄騎手を鞍上に迎えて2勝目をあげた。だが、その日は既に、皐月賞(Gl)の2週間前である。レオダーバンは、皐月賞を断念せざるを得なかった。

 クラシックを狙える器だというひそかな自負にも関わらず、皐月賞のゲートにすらたどり着くことができなかった無念に、奥平師ら関係者は無念の思いをかみ殺した。・・・そんな思いをよそに、この年の皐月賞・・・レオダーバンが出られなかったクラシック第一冠で、1頭のスターホースが誕生した。・・・トウカイテイオーの戴冠である。