1999-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『いつか彼を振り返るために』

混戦の天皇賞・春を制して天皇賞馬となったクシロキングだったが、その絶頂は天皇賞で終わりを告げ、その後は幸せだったとはいい難い運命をたどった。種牡馬として失敗した彼は、故郷を遠く離れた地に寂しく骨を埋めることとなってしまった。 経済動物である…

『故郷を遠く離れて』

種牡馬となったクシロキングは、世に知られた名門牧馬であり、かつ自らの誕生にも関わった大塚牧場に繋養され、種牡馬生活を始めることになった。父のダイアトムは彼が競馬場で走っている間に死亡していたため、クシロキングにはその後継としての役割が期待…

『戦い、終えて・・・』

しかし、クシロキングは闘志と運とを天皇賞・春で燃やし尽くしてしまったかのように、その後は天皇賞馬に相応しくない走りを続けた。 天皇賞の後、宝塚記念へと向かったクシロキングは、堂々の1番人気に支持された。本来の得意距離とはいえない3200mの長距離…

『盾を我が手に』

クシロキングが手応え十分で上がってきたのに対し、人気のサクラユタカオーは、もう一杯の状態だった。後に毎日王冠、天皇賞・秋で連続レコードを樹立したこの馬も、クシロキングと同じく明らかな中距離馬だった。ただ、クシロキングと違ったのは、後半1600m…

『一世一代の作戦』

クシロキングは、距離不安が囁かれたものの、スダホーク、サクラユタカオーに次ぐ単勝3番人気に推された。レースは人気薄のラウンドボウルが逃げる形となり、スローペースとなった。サクラユタカオーが中団に付け、追い込みに賭けるスダホークは最後方の指定…

『限界への挑戦』

こうして中距離重賞を2勝したクシロキングだったが、中野師は、いったん当初目標としていた天皇賞・春を回避し、京阪杯(Glll)を叩いて宝塚記念(Gl)に向かう予定を立てていた。これは、目黒記念の敗北を受け、天皇賞・春の距離を考慮してのローテーションだっ…

『中距離の名馬』

中山金杯を勝ったクシロキングの春の目標は、天皇賞・春(Gl)におかれることになった。日本のGlにおける最長距離のレースとなる天皇賞・春を目指す以上、長距離に対応できるかどうかは、大きなポイントとなってくる。そこで中野師は、それまで2000mまでしか走…

『新たなる邂逅』

オープン馬となったクシロキングは、次走を中山金杯(Glll)に定めた。前走の準オープンで2着に4馬身差をつけて圧勝したことが評価され、堂々の1番人気に支持されての出走となった。 ところが、この日クシロキングの鞍上に、主戦安田富男騎手の姿はなかった。…

『遅れてきた大器』

阿部氏は、自分自身が買ってきたこの子馬に、自らの出身地である釧路に因んでクシロキングという名前を与え、そのクシロキングは、美浦の中野隆良厩舎へ入厩した。中野師といえば、あのTTGの一角グリーングラスを管理したことで知られている。恵まれた環境の…

『袖を引く者』

その年の上山牧場では、クシロキングを含めて13頭の当歳が誕生していたが、彼はその中ですら期待馬とは思われていなかった。 ところが、そんなクシロキングの行き先は、同期の子馬たちの中でも一番先に決まった。幼いクシロキングは、彼の競走馬時代の馬主と…

『誕生』

クシロキングは、北海道・浦河にある上山牧場で生まれた。上山牧場というと、かつてスプリングS、阪神大賞典など重賞を5勝したロングホークや、京都記念、日経新春杯を勝ったマサヒコボーイを出したことで知られている。当時の上山牧場にいた繁殖牝馬は14頭…

『忘れられた天皇賞馬』

競馬におけるグレード制度の特徴として、単なるレースの格付けにとどまらず、Glを頂点として競馬界のレース体系を決する重要な要素となっている点が挙げられる。 Glに格付けされたレースとは、競馬界の数あるレースの中でも、ある体系の頂点に位置づけられる…

■第011話―忘れられた天皇賞馬「クシロキング列伝」

1982年5月18日生。1996年12月死亡。牡。黒鹿毛。上山牧場(浦河)産。 父ダイアトム、母テスコカザン(母父テスコボーイ)。中野隆良厩舎(美浦)。 通算成績は、25戦7勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍は、天皇賞・春(Gl)、中山記念(Gll)、中山金杯(Glll)…