1998-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ダイユウサク列伝改訂版あとがき 〜我、ダイユウサクに敗北す―

前々からの懸案だったダイユウサク列伝の改訂が終わりました。新たに発掘したA級資料を反映させることによって大幅に内容が増補されています。また、サブタイトルも変わりました(旧「だから競馬は分からない」→新「世紀の一発屋」)。しかし、一仕事を終え…

『私たちに会うために』

種牡馬ダイユウサクが送り出した産駒は、後に中央競馬でホウライカップが平地で1勝、そして平地では未勝利に終わったシリウスランドが障害に転じて2勝を挙げた。だが、ダイユウサクは、そんなことなど素知らぬ顔で、現在は「AERU」でのんびりとした余生を過…

『新天地へ』

そんなダイユウサクに転機が訪れた。1998年春、北海道の浦河町に、日本有数の総合競馬観光施設「AERU」がオープンすることになった。その際、観光の目玉としてダイユウサクを招きたい、という申し出があったのである。 「AERU」はファンが競走馬と親しめる施…

『大きな木の下で』

こうしてグランプリホースとなったダイユウサクだったが、有馬記念で一世一代の末脚を爆発させて燃え尽きてしまったのか、8歳時には6戦したものの、一度も掲示板に乗ることさえできなかった。この年限りで現役を引退することになったダイユウサクは、引退後…

『―そして、名前が叫ばれた』

高々と左手を天に掲げたのは、熊沢騎手だった。世間に名高い「あっと驚くダイユウサク」である。 ダイユウサクは、メジロマックイーンに1馬身4分の1の差をつけ、完勝した。これは、さすがのメジロマックイーンをしても届かない永遠の着差であり、勝ち時計の2…

『謎の馬』

ジャパンC(Gl)の4着敗退で瞬発力不足が指摘されていたメジロマックイーンだったが、この日の脚色は違っていた。懸命に逃げ込みを図るプレクラスニーも、中山直線の急坂、通称「地獄の壁」でついに脚が止まる。「メジロマックイーンにだけは負けられない、負…

『―彼の名前は呼ばれない』

メジロマックイーンのためのレース。そうなるはずだったこの日の戦いの始まりを告げたのは、ツインターボと大崎昭一騎手の怒涛の逃げだった。単騎逃げでもハイペースにしてしまい、最後には壮絶に潰れることが「お約束」になっていた個性派にとって、それは…

『ひそかな野望』

そしてやって来た1991年12月22日、晴天に恵まれた第36回有馬記念(Gl)当日。中山のメインレースの馬柱には、ダイユウサクの名前もあった。「名前もある」―少なくとも大部分のファンにとって、ダイユウサクはただそれだけの存在にすぎなかった。 1番人気に支持…

『夢』

しかし、有馬記念を控えたダイユウサクの調整は、内藤師の予想すら超える素晴らしいものだった。それは、もう一度同じ状態に仕上げろといわれてもできない、それほどの究極の仕上げだった。 内藤師は、有馬記念を数日後に控えたある夜、夢を見た。夢の中で5…

『伝統を超えた幸運』

この年の有馬記念(Gl)は、皐月賞、ダービーを無敗で制してクラシック戦線を主導したトウカイテイオーが骨折で出走できず、古馬最強と謳われるメジロマックイーンの独壇場となるだろうというのがもっぱらの予想だった。この年はトウカイテイオーに限らず故障…

『挑戦者たち』

しかし、次走のスワンS(Gll)で思い切った後方待機策をとったところ、鋭い末脚で4着に食い込んだことから、みな「諦めるのは早い」と思い直すようになった。ダイユウサクは、距離が短い方が良いのかもしれない。また、それまではどちらかというと好位か中団か…

『輝ける日々』

6歳になったダイユウサクは、オープン、そして重賞戦線の常連になっていった。特に秋の戦績はめざましく、5戦してトパーズS(OP)等で3勝を挙げ、セントウルS(Glll)でも3着に入った。天皇賞・秋(Gl)にも挑戦し、ここでは7着に敗れたものの、騎乗した村本善之騎…

『馬の恩返し』

こんな素晴らしい関係者に恵まれたダイユウサクは、勝たなければバチが当たるというものである。ダイユウサクは5歳になってからもろくでもない戦績が続いていたが、この年3戦目、通算5戦目となる新潟の400万下で、突然爆走した。12頭だての10番人気とまった…

『泥棒に追い銭』

内藤師がダイユウサクの馬主である橋元幸平氏に「素質はあるはずなんです。泥棒に追い銭になるかもしれませんが、もう少し様子を見させて下さい」と言って現役続行を訴えたこともあって、ダイユウサクはかろうじて現役生活を続行させてもらえることになった…

『生涯最大の危機』

一般的な見方をするならば、2戦続けてこれほどの惨敗に終わった馬を、よくもまあ引退させなかったものである。ちなみに、担当馬が走るかどうかが収入に直結する厩務員たちは正直である。このころ、ある事情でダイユウサクの担当厩務員が交代することになった…

『壮絶なるデビュー』

ダイユウサクがデビューさえできずにもたもたしている間に、ダイユウサクと同じ年に生まれた馬たちは、1988年牡馬クラシック戦線で壮絶な死闘を繰り広げ、皐月賞(Gl)はヤエノムテキ、日本ダービー(Gl)はサクラチヨノオーで決着していた。ちなみに、彼らの世…

『後悔先に立たず』

こうしてみていくと、ダイユウサクが中央競馬でデビューできたこと自体、奇跡のように思えてくる。もっとも、彼を預かることになっていた内藤師も、実際に成長した姿を見て「早まった・・・」と嘆かずにはいられなかった。入厩する頃のダイユウサクは、内藤…

『おい、お前のおとっつぁんは凄い馬だったんだぞ』

生まれたばかりのダイユウサクは、なかなか将来への期待を抱かせる存在だった。彼の馬体はバランスが取れており、たまたま馬を探すために優駿牧場に来ていた中央競馬の内藤繁春調教師が目をつけ、すぐに自分の厩舎で引き取るよう決めてくれたほどだった。内…

『ダイユウサク』

ダイユウサクは、1985年6月12日、門別の優駿牧場(現・待兼牧場)に生まれた。父のノノアルコは、世界的な種牡馬であるNearcticの子にあたる。Nearcticの子としてはNorthern Dancerが圧倒的な知名度を誇っているが、ノノアルコも英2000ギニーなどGl4勝を含め、…

『衝撃のグランプリホース』

1998年春、浦河にオープンした総合競馬観光施設「AERU」には、1頭のグランプリホースが繋養されている。そのグランプリホースとは、日本競馬の1年間を締めくくり、「ドリームレース」とも呼ばれる1991年有馬記念(Gl)を、従来のレコードを1秒1縮める2分30秒6…

■第002話―世紀の一発屋「ダイユサク列伝」

1985年6月12日生。牡。鹿毛。競優牧場(門別)産。 父ノノアルコ、母クニノキヨコ(母父ダイコーター)。内藤繁春厩舎(栗東)。 通算成績:38戦11勝(4-8歳時)。主な勝ち鞍:有馬記念(Gl)、京都金杯(Glll)、阪神競馬場新装記念(OP)。 ―そして、大観…