『衝撃のグランプリホース』

 1998年春、浦河にオープンした総合競馬観光施設「AERU」には、1頭のグランプリホースが繋養されている。そのグランプリホースとは、日本競馬の1年間を締めくくり、「ドリームレース」とも呼ばれる1991年有馬記念(Gl)を、従来のレコードを1秒1縮める2分30秒6で駆け抜けて圧勝したダイユウサクである。彼が記録した有馬記念のレコードは、それから10年以上経った現在も、いまだに破られていない。

 もっとも、ダイユウサクというサラブレッドには、そうした輝かしい実績のみでは語りつくせない特異さがある。彼が生涯最大・・・というより、おそらく唯一といっていいであろう栄光の舞台である中山競馬場に姿を現した時、大多数のファンの反応は

「何しに出てきたんだ」

というものだった。有馬記念といえば、日本競馬の華ともいうべき中長距離の1年間の総決算であるとともに、Gl戦線の中でも番狂わせはかなり少ない権威あるレースとして知られている。そんなレースに紛れ込んだ彼は確かに異質な存在であり、この馬が本気で勝ち負けできると信じていた者は、ほとんどいなかった。まして、その年の有馬記念には、当時絶対的な王者といわれていた名馬メジロマックイーンまでいた。

 ・・・しかし、15頭だての14番人気だったダイユウサクは、笑われながら出走したそのレースで、メジロマックイーンをはじめとするなみいる強豪たちをまとめて切り捨てた。彼が演じた大番狂わせは人々をあっと驚かせ、その衝撃は、

「世紀末を理不尽馬が駆け抜けた」

とまで言われた。

 ダイユウサク有馬記念は、ただのまぐれというにはあまりに鮮烈な印象を私たちに残した。彼の名前は、脈々と続く有馬記念の歴史の中に、燦然と輝く栄光とともにはっきりと刻まれている。

 そんな彼が、今は競走馬としてだけでなく種牡馬としての戦いも終え、観光施設で静かな時を過ごしている。そんな彼の居場所は、彼自身が有馬記念を勝つことで勝ちとった安息の地である。ダイユウサクがそこにたどり着くまでの間に歩んだ道とは、どのようなものだったのだろうか。