1999-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『不完全燃焼の秋』

ウイニングチケットは、種牡馬として馬産地へ帰ってきた。ダービー制覇以降は今ひとつ不完全燃焼に終わった感のあるウイニングチケットだったが、種牡馬としての人気は、実績と血統背景が評価され、かなり高いものだった。ウイニングチケットの父トニービン…

『熱い季節の終わり』

伊藤師は、残されたウイニングチケットのために、かつてはナリタタイシンの主戦騎手としてウイニングチケットの前に立ちはだかってきた武豊騎手にその騎乗を依頼した。幸いと言うべきか、ナリタタイシンは、当時戦線を離脱していたため、武騎手もこの依頼を…

『さらば、柴政』

一刻も早い復帰が待望された柴田騎手だったが、彼が落馬事故で負傷した箇所は、以前にも痛めたことのある古傷部分であり、その回復は遅れに遅れていた。あくまで復帰を目指しての懸命のリハビリを続ける柴田騎手に対し、医師の診断は無情にも「日常生活には…

『別離』

有馬記念の後、ウイニングチケットは笹針が施した上で、長期放牧に出されることになった。伊藤師は、菊花賞のレース内容から長距離適性に見切りをつけ、天皇賞・春(Gl)は回避することを早々に決めた。そのため、ウイニングチケットの5歳春の大目標は、宝塚記…

『不完全燃焼の秋』

菊花賞に敗れたウイニングチケットは、続いてジャパンC(国際Gl)への出走を表明した。ジャパンCはダービーと同じ東京2400mコースで行われるため、得意な舞台で復活を賭けたのである。 この年のジャパンC(国際Gl)は米国からブリーダーズカップターフを制したコ…

『遠ざかる背中』

トライアルの内容、そしてレース直前の両陣営の気配から、日本ダービー優勝馬と、2着馬の地位は逆転した。菊花賞(Gl)で1番人気を奪ったのは、ウイニングチケットではなくビワハヤヒデの方だったのである。 ちなみに、平成新三強の一角を占めたナリタタイシン…

『視界不良』

ところが、ウイニングチケットはこのレースで、思わぬ苦戦を強いられた。ダービーの時のような精彩を欠くウイニングチケットは、道中でいったん進出を開始しながら、下り坂で再び後退する・・・そんなちぐはぐなレースをしてしまった。ウイニングチケットが…

『ライバルの反攻』

ダービー馬となったウイニングチケットが次に目指すものは、当然菊花賞(Gl)での二冠制覇だった。平成新三強の一角に数えられるに至った皐月賞馬ナリタタイシンが、ダービーの後さらに高松宮杯(Gll)に使った影響で調整に失敗し、菊花賞へはぶっつけで臨まざる…

『府中が泣いた』

レースを終えた府中の大観衆は、柴田騎手とウイニングチケットの栄光に熱狂した。馬券を取った者はもちろんのこと、取れなかった者も含め、誰もがこの結果に納得していた。道中の不利を感じさせない実力で最後まで粘ったビワハヤヒデ、自分のレースに徹して…

『勝ったのは―』

だが、この時の柴田騎手とウイニングチケットは、確かに一体となっていた。ウイニングチケットを追う柴田騎手の気迫は馬に確かな力を与え、懸命に走るウイニングチケットの手応えは、柴田騎手に自信を返した。そんなウイニングチケットと柴田騎手は、ライバ…

『死闘』

直線入口を見事な形で乗り切った柴田騎手は、外へ持ち出したビワハヤヒデが苦しむのを見て、早くも勝負どころと見切り、出し抜けを食わすようにムチを飛ばした。柴田騎手の水車ムチに応え、ウイニングチケットも一気に前に出る。その時点で彼より前にいた馬…

『明暗』

2人の名手が最終的に決断したのは、いずれもレースが最高潮を迎える第4コーナー手前でのことだった。だが、その内容は対照的なものとなった。先を往く岡部騎手が、不利を避けるために第4コーナーでビワハヤヒデを外に持ち出したのに対し、柴田騎手は、ビワハ…

『決戦の刻』

そしてやってきた日本ダービー(Gl)当日。3年前に日本で生まれた1万頭近いサラブレッドたちの頂点を決する競馬界最大の祭典、そして決戦の日である。この日出走を許された18頭のそれぞれが、どのような戦いを繰り広げるのか。夢をつかむのは、どの馬なのか。…

『決戦前夜』

ウイニングチケット陣営のみならず、ビワハヤヒデ陣営、ナリタタイシン陣営ともダービーに向けての気配は絶好で、本番では最高の調子で三強が相まみえることが予想され、かつ期待された。三強の牙城を崩すことを狙うそれ以外の馬たちも、虎視眈々と下剋上の…

『ダービーを勝ったら・・・』

皐月賞のレース後、評論家の間では、一部にウイニングチケットの皐月賞について、いつもより前でレースをさせた柴田騎手の騎乗ミスが敗因であるということが語られた。ビワハヤヒデを意識して前で競馬をした分、直線での切れ味がなくなってしまい、ウイニン…

『混戦の中、抜け出したのは・・・』

・・・しかし、この日のウイニングチケットは、激しい気性を自らコントロールできていなかった。返し馬の時から入れ込み気味だったウイニングチケットは、道中でも落ち着いてくれなかった。この日の位置どりも、中団につけたことまでは柴田騎手の作戦どおり…

『思いがけぬ作戦』

ウイニングチケットは弥生賞優勝後、その調整は至極順調に進み、いよいよクラシック本番の開幕を告げる皐月賞(Gl)を迎えることになった。 皐月賞を見守るファンは、ホープフルS、弥生賞と中山2000mのレースで、柴田騎手とともに豪快な差し切りで連勝してきた…

『そして戦いの幕は上がり・・・』

ウイニングチケットのクラシック戦線は、皐月賞トライアルの弥生賞(Gll)から始まることになった。弥生賞は、毎年皐月賞、日本ダービーの有力候補が終結して激戦となることが多く、この年も例外ではなかった。ビワハヤヒデの姿こそないとはいえ、ラジオたんぱ…

『見えてきた構図』

ウイニングチケットには、ホープフルS(OP)での圧勝により、「クラシックの主役」という声がかかり始めた。 もともとは、彼らの世代の中でクラシック戦線の最有力候補と言われていたのは、ビワハヤヒデだった。後にGlを3勝、それもすべて圧倒的な強さで制覇す…

『遠い悲願』

こうして名騎手への道を歩んでいった柴田騎手だったが、日本競馬の最高峰である日本ダービーへの道は、遠いままだった。デビューから26年目を迎え、ダービー騎乗も18回を数える柴田騎手に、ダービー制覇のチャンスがなかったわけではない。1978年にはファン…

『涙』

・・・だが、実際の高松師は、柴田騎手が想像したようにぶん殴るどころではなかった。柴田騎手が目にしたのは、予想もしていなかった高松師の熱い涙だった。「政人、誰よりもアローにお前を乗せてやりたいと思っているのは、この俺だ。だが、アローはお前の…

『名騎手の原風景』

柴田騎手は、1993年牡馬クラシック路線・・・そして日本ダービーに向けた戦いを、ウイニングチケットとともに歩むことを決意した。柴田騎手にとって、日本ダービーとは騎手になった日からの憧れであり、生涯の目標でもあったが、そうであるにもかかわらず、…

『三顧の礼』

柴田騎手は、伊藤師の依頼になかなか首を縦に振ろうとはしなかった。彼は、自分が勝たせることができなかった新馬戦へのこだわり、関東の自分が主戦騎手となることで生じるローテーションの調整の難しさなどを気にしていた。・・・だが、伊藤師の思いはひと…

『熱情』

伊藤師は、まずウイニングチケットのデビュー戦を札幌での新馬戦に決めた。柴田騎手は、毎年夏競馬では、北海道で騎乗することが多い。中央開催が始まってからでは、柴田騎手に本拠地の違う伊藤厩舎の馬に乗ってもらえる可能性は低くなる。 伊藤師は、最初か…

『選ばれた男』

やがてウイニングチケットは、伊藤師の見立てに違うことなく、同じ年に生まれた馬たちと並んでも決して先頭を譲らない高い能力、そして勝負根性を見せるようになっていった。 2年後、3歳になったウイニングチケットは、予定どおりに伊藤厩舎に入厩することに…

『名伯楽の条件』

最初、トニービンとパワフルレディとの間に生まれたウイニングチケットは、「鹿のような」線の細い馬格しかなかったため、牧場の人々をがっかりさせた。しかし、そんな華奢な子馬の資質を誰よりも早く見抜いた男がいた。それは、馬の出産シーズンを迎え、少…

『眠れる名血』

ウイニングチケットは、過去にサクラユタカオー、サクラスターオーなど多くの名馬を生産した歴史を持つ静内の名門牧場・藤原牧場で生まれた。その血統は、父が凱旋門賞馬トニービン、母が未出走馬パワフルレディというものである。 ウイニングチケットが出現…

『政人にダービーを勝たせるために』

わが国の中央競馬における最高のレースは何か・・・そう聞かれた時に、最も多くのホースマンがその名を挙げるのが日本ダービーであろうことは、想像するまでもなく明らかであろう。1932年の「東京優駿大競走」に端を発する日本ダービーの歴史は、英国のクラ…

■第015話―府中が泣いたマサトコール「ウイニングチケット列伝」

1990年3月21日生。牡。黒鹿毛。藤原牧場(静内)産。 父トニービン、母パワフルレディ(母父マルゼンスキー)。伊藤雄二厩舎(栗東)。 通算成績は、14戦6勝(3-5歳時)。主な勝ち鞍は、日本ダービー(Gl)、弥生賞(Gll)、京都新聞杯(Gll)、ホープフルS…

『今も流れる時代とともに』

しかし、サクラスターオー、マティリアル、ゴールドシチーたちの時が止まった後も、ダービー馬メリーナイスの時は流れ続けて現在に至っている。 メリーナイスは、種牡馬としてマイネルリマーク(共同通信杯)、イイデライナー(京都4歳特別)などの重賞馬を輩出…