『さらば、柴政』

 一刻も早い復帰が待望された柴田騎手だったが、彼が落馬事故で負傷した箇所は、以前にも痛めたことのある古傷部分であり、その回復は遅れに遅れていた。あくまで復帰を目指しての懸命のリハビリを続ける柴田騎手に対し、医師の診断は無情にも

「日常生活には支障がないものの、騎手として復帰することは難しい」

というものだった。この宣告を受けた柴田騎手の足は、知らない間に所属先の高松厩舎へと向かっていた。

 高松邦男師をはじめとする主だった厩舎関係者は、そのころローカル開催にに出張中しており、高松厩舎には柴田騎手の弟弟子である小野次郎騎手をはじめとする少数のスタッフしか残されていなかった。柴田騎手が訪れた時、小野騎手はちょうど所属馬の攻め馬をつけているところだった。

 柴田騎手は、小野騎手が騎乗していた馬がおとなしい古馬だったため、何も言わずに小野騎手をつかまえ、

「馬を貸してみろ」

というなり、その馬を奪い取って調教をつけ始めた。そして、その古馬の調教を何の気なしにつけ終えると、今度は

「大人しい馬じゃ張り合いがない。もっといきのいい馬に乗せてくれ」

と言い出した。柴田騎手の故障の状況を詳しく聞かされてはいなかった小野騎手は、調教をつける柴田騎手が予想以上に元気なのを見て安心したものの、さすがにこの注文には首を縦に振らなかった。

 すると、その数日後、調教に出てきた小野騎手は、今度は柴田騎手が他厩舎の所属馬で、気性が悪いと評判になっていた新馬の調教をつけている光景を見かけた。心配になって柴田騎手の様子をじっと見ていた小野騎手だったが、柴田騎手はその新馬を無難に乗りこなしているように見えた。下馬する際に笑顔を見せていた柴田騎手の様子を目にした小野騎手は、

「ああ、政人さんはこれで復活するんだ」

と思ったという。

 しかし、この時の柴田騎手の心中は、小野騎手が思ったのとはまったくの逆だった。元気のいい暴れ馬に乗って調教をつけた彼は、その時はっきりと自分の限界を悟っていた。

「もう以前の俺には戻れない・・・」

 これまでいつも馬と共に生き、馬と共に闘ってきた柴田政人は、暴れ馬が不測の事態を起こしたり、レースの極限状態の中で何かが起こった時には、もう自分の身体では十分に対応しきれないことをはっきりと悟ったのである。柴田騎手は、馬によってのみ己の引き際を知った。その翌日、柴田騎手は騎手引退を発表した。日本ダービー制覇に賭けた男にとって、初めての悲願を果たした第60回日本ダービーは、その生涯で最後のダービー騎乗となった。