1999-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『浦河にて』

もっとも、その後のヤエノムテキの軌跡は、大多数の種牡馬に比べてはるかに幸運なものである。まず、最初に彼を救ったのは、故郷である浦河の生産者たちであり、ヤエノムテキのために、総額220万円という以前の200分の1以下の規模の小さなシンジケートを結成…

『時代の流れが速すぎて』

現役引退後、総額5億円のシンジケートが組まれヤエノムテキは、北海道へ帰って無事に種牡馬入りを果たした。しかし、その後の時代は、ヤエノムテキに味方しなかった。 まず、この時期の馬産界は、バブル経済の勢いを駆って、強い円の力で次々と海外の最強ク…

『宴の後・・・』

ヤエノムテキによる意外な座興でヘンに沸いたこの日のレースだが、その終末は劇的なものだった。秋は惨敗続きで「終わった」とみられていたオグリキャップが、充実一途の4歳馬たちを抑え込み、奇跡の復活を果たしたのである。スタンドは、かつては宿敵だった…

『勝手に引退式』

ところが、ヤエノムテキは、最後の最後になって、勝手に1頭だけの引退式を始めてしまった。突然暴れ出した彼は、岡部騎手を振り落として1頭だけでコースを独走しはじめたのである。 場内は、当然のことながら大騒ぎになった。この日のヤエノムテキは単勝6番…

『さらば戦場よ』

さて、天皇賞・秋(Gl)を勝ったことで、1年半ぶりの勝利をGl2勝目で飾ったヤエノムテキは、この年限りでの引退を正式に決定した。皐月賞(Gl)、天皇賞・秋(Gl)の勲章は、内国産馬としてはトップクラスに位置するものである。今度こそ胸を張って種牡馬入りでき…

『栄光のゴール』

ヤエノムテキは、残り400m地点で馬群を抜け出した。「あいつは、あいつはどうした? 」満場のファンは、もう1頭の来るべき馬の姿を懸命に探した。猛然と飛び出したヤエノムテキをとらえるのは、緑の帽子に白い馬体のあの馬しかいない・・・。 すると、後続の…

『一瞬の好機』

ヤエノムテキは、第3コーナーから第4コーナー手前にかけて徐々に進出を開始した。オサイチジョージがヤエノムテキの前に入る素振りを見せたものの、岡部騎手はあわてず馬をいったん前に出し、オサイチジョージの動きを封じたところですぐに抑えて不利を受け…

『名手の選択』

長い不振に苦しんだヤエノムテキは、6歳春になると、ようやく復調の気配を見せ始めた。この春はオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンという平成三強が揃い踏みした最後の季節となったが、ヤエノムテキはそんな中でも中距離戦線の王道を歩み、安田記…

『我が恋う女は・・・』

さて、5歳春になってからも日経新春杯(Gll)で2着、産経大阪杯(Gll)で優勝するなど、安定した戦績を見せたヤエノムテキだったが、その後宝塚記念(Gl)で7着に敗れてからは、いまひとつ戦績が振るわなくなってしまった。 距離適性から天皇賞・春を回避してまで…

『危険な人気馬』

ダービー後のヤエノムテキは、放牧に出されることもなく、レースに使われながら時を過ごしていった。中日スポーツ杯4歳S(Glll)では復調したサッカーボーイの2着に敗れたものの、古馬との初対決となったUHB杯(OP)ではあっさりと勝ち、秋シーズンへ向けて順調…

『フロックにあらず』

ファンを、そして競馬界をあっといわせた皐月賞制覇の後、ヤエノムテキは二冠・・・日本ダービー制覇を目指した。皐月賞の結果を「展開がはまっただけ」「人気薄ゆえの激走」とフロック視する声はあったが、ふたを開けてみると、彼はダービーでも単勝640円の…

『報われたわがまま』

ヤエノムテキの勝利に驚いたのは、ファンだけではなかった。ヤエノムテキの生産者である宮村氏は、この日ヤエノムテキが勝ってしまうとは夢にも思わず、同じ日に上京する友人に「間違って勝ったら、代わりに口取り式に出て」と頼んで送り出し、自分は牧場に…

『予想外の爆走』

ただ、西浦騎手の判断がよかった点は、サクラチヨノオーが第4コーナーを過ぎて一気にスパートをかけた時も、時期尚早と見て動かなかったことである。府中の長い直線ならば、あわてて動かなくても差し切れる。むしろ、相手が早く動いたなら、その相手がばてる…

『静かな心で』

皐月賞当日、ヤエノムテキは単勝2520円の9番人気だった。前年の阪神3歳S(Gl)の覇者で皐月賞の最有力候補といわれていたサッカーボーイが出走を回避し、さらにクラシック登録がないために、世代の陰の実力ナンバーワンといわれるオグリキャップの姿もない18頭…

『運と実力』

毎日杯での賞金の加算に失敗したヤエノムテキは、やむなく単なる2勝馬として、皐月賞(Gl)への出走登録を行うことになった。この年の皐月賞にはフルゲート18頭のうち既に15頭が優先出走権か本賞金によって出走を確実にしており、残る椅子は3つしか残っていな…

『狭まった道』

毎日杯は、毎年皐月賞への出走の意思はあるものの、実績で劣るため出走が微妙な関西馬たちの集合するレースとして位置づけられることが多い。このレースについて「最終列車最終便」という言葉を聞いたことがある人は多いはずである。 ヤエノムテキの目標も、…

『未知に挑むため』

いくら荻野師に自信があっても、デビューの時期が時期だけに、ヤエノムテキを皐月賞に間に合わせるためにはや一刻の猶予もならない。しかし、いったんデビューすると、ヤエノムテキの才能が開花するのは早かった。デビュー戦で2着に7馬身差をつけて初勝利を…

『荒削りな原石』

さて、ヤマニンスキーとツルミスターの間に生まれたヤエノムテキは、当歳の頃から大柄な上、非常にやんちゃな気性だった。元気が良すぎて他の馬をいじめるため、1頭だけ別の放牧地に「隔離」されることも多かったという。もっとも、母のツルミスターと同じく…

『血統の深遠』

荻野師の計らいで宮村牧場へ戻されたツルミスターは、やはり荻野師の助言によって、ヤマニンスキーと交配されることになった。 ヤマニンスキーは、父に最後の英国三冠馬Nijinsky、母にアンメンショナブルを持つ持ち込み馬である。母の父Backpasser、母の母の…

『運命の悪戯』

このように、フジサカエーの一族は宮村牧場の宝ともいうべき存在だったが、その中でのツルミスターという牝馬自体は、決して目立った存在ではなかった。彼女は中央競馬への入厩こそ果たしたものの、その戦績は3戦未勝利というものにすぎなかった。 そんなツ…

『明治男の意地』

ヤエノムテキは、浦河・宮村牧場という小さな牧場で生まれた。当時の宮村牧場は、家族3人で経営する家族牧場で、繁殖牝馬も6頭しかいなかった。宮村牧場の生産馬からは、古くは東京障害特別を連覇したキンタイムという馬が出たものの、他には特に有名な馬を…

『平成三強時代の中で』

競馬界が盛り上がるための条件として絶対に不可欠なのが、実力が高いレベルで伯仲する複数の強豪が存在することである。過去に中央競馬が迎えた幾度かの黄金時代のほとんどは、そうした名馬たちの存在に恵まれていた。強豪が1頭しかいない場合、その1頭がど…

■第012話―府中愛した千両役者「ヤエノムテキ列伝」

1985年4月11日生。牡。栗毛。宮村牧場(浦河)産。 父ヤマニンスキー、母ツルミスター(母父イエローゴッド)。荻野光男厩舎(栗東)。 通算成績は、23戦8勝(旧4-6歳時)。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(Gl)、皐月賞(Gl)、産経大阪杯(Gll)、鳴尾記念(Gll…