『運と実力』

 毎日杯での賞金の加算に失敗したヤエノムテキは、やむなく単なる2勝馬として、皐月賞(Gl)への出走登録を行うことになった。この年の皐月賞にはフルゲート18頭のうち既に15頭が優先出走権か本賞金によって出走を確実にしており、残る椅子は3つしか残っていなかった。一方、本賞金800万の馬はヤエノムテキを含めて6頭が登録していたため、出走できる確率は6分の3、つまり2分の1でしかなかった。

 荻野師は、なんとしてもヤエノムテキ皐月賞に出してみたかった。この年は中山競馬場が改修工事中のため、例年中山競馬場で開催される皐月賞が府中競馬場で開催されることになっていた。荻野師は、ヤエノムテキのしぶとい末脚が生きるのは、小回りで直線の狭い中山より、コーナーが大きく直線の長い府中である、と信じていた。中距離がベストと思われるヤエノムテキだけに、なんとか皐月賞で走るチャンスを与えてやりたい。

 すると、天はヤエノムテキに微笑んだ。ヤエノムテキは、50%の確率でしかない出走権を見事引き当て、狭き門を見事クリアしたのである。

 幸運ついでに、荻野師らはヤエノムテキの枠順として、1枠1番も引き当てた。府中2000mは、毎年天皇賞・秋(Gl)が行われているコースであり、「内枠有利、外枠不利」の問題が天皇賞・秋の季節ごとに話題にされてきた。すなわち、このコースはスタートしてすぐに全馬が第2コーナーへ殺到するという構造上、どうしても内枠が有利、外枠が不利になってしまう。だが、1枠1番に入ったヤエノムテキの場合、出遅れにさえ気をつければ、あとは自由に競馬を進められる理想的な枠順だった。

 ヤエノムテキは、レース前の時点での運には十分に恵まれた。もっとも、運だけで勝てるほど、クラシックが甘いものではないことは当然である。あとは運を生かす実力を、彼が備えているかどうかが試される。そこで必要とされる実力のラインも、相当高い水準のものとなるはずである。

 しかし、ヤエノムテキの場合は、運がなければそもそもその実力を試すことすらできない状況だった。その状況から見事出走権を引き当て、さらに理想的な枠順から発走することができたのだから、ヤエノムテキが備えている天運は確かなものだった。