『最後の檜舞台』
毎日王冠(Gll)は、天皇賞・秋(Gl)と同じ東京競馬場で行われ、距離も200m短いだけである。そこで、例年は毎日王冠の勝ち馬が天皇賞・秋の有力候補として、多くの印を打たれる存在となる。
だが、ラッキーゲランの場合、夏以降の戦績にもかかわらず、本番では18頭だての6番人気にしかならなかった。ラッキーゲランが勝ってきた函館記念(Glll)、毎日王冠(Gll)は、いずれも相手関係が楽なところと考えられたがゆえに、せっかくの勝利も人気には直接反映しなかったのである。毎日王冠は、2頭のGl馬を破っての優勝だったものの、当時競馬界の認識では、最強はあくまで6歳の両横綱オグリキャップ、スーパークリークと7歳の古豪イナリワンからなる平成三強で、それに続くのがメジロアルダン、ヤエノムテキら6歳世代の大関クラスとされていた。5歳世代は「弱い世代」といわれており、その一員たるラッキーゲランも例外ではなかった。
そして、ラッキーゲランの天皇賞・秋の結果は、その人気すら大きく裏切るブービーの17着に終わり、図らずもそんな見方を証明することになってしまった。続くマイルCS(Gl)ではパッシングショットの4着に入って少しだけいいところを見せたものの、スプリンターズS(Gl)では、バンブーメモリーの10着に敗れた。
そして、そのスプリンターズSが、ラッキーゲラン最後のGl挑戦となった。・・・とはいっても、彼の戦いが終わったわけではない。彼の戦いは、それからなお3年の長きに渡って続いていくのである。