『勇者は死なず』

 ラッキーゲラン阪神3歳S(Gl)の後再びターフに姿をあらわしたのは、12月の中京競馬場CBC賞(Gll)でのことだった。そのときラッキーゲランは、ファンからはほとんど忘れ去られかけた状態で、ローカルGllで斤量も54kgと恵まれていたにもかかわらず、16頭だての11番人気だった。

 約1年のブランクが重かったのか、復帰戦でどん尻の16着に沈んだラッキーゲランは、その後様々な条件のレースで試行錯誤を重ねながら、実戦の勘を取り戻そうと必死に戦った。いわゆる「裏街道」のレースを選んで、だいたい月1、2走の厳しいローテーションで走り続けた。それでも一度止まった時計はなかなか元には戻らない。ラッキーゲランにとってはつらい日々が続いた。

 しかし、ラッキーゲランはまだ死んではいなかった。負けの中から調子を取り戻し始めたラッキーゲランは、まずコーラルS(OP)で1年4ヶ月ぶりの勝利を収めた。その後はまた低迷が続いたものの、夏に戦場を北の函館に移してからは、「完全復活」と言っていい活躍を見せた。

 まず伝統の巴賞(OP)で4馬身差の圧勝を遂げ、コーラルSに続く勝利の美酒を味わったラッキーゲランは、続く函館記念(Glll)で、生涯ただ一度の1番人気に推され、57.5kgのトップハンデながら快勝し、完全復活を高らかに誇示した。ちなみにこのとき破った相手には、後にグランプリ連覇を果たすメジロパーマーも含まれている(7着)。

 次走となる天皇賞・秋(Gl)の前哨戦として知られる毎日王冠(Gll)でも、ラッキーゲランはもうひと仕事をやってのけた。毎日王冠の出走馬は10頭と少なかったものの、その中には前走の宝塚記念(Gl)で、あのオグリキャップを撃破して念願のGlを奪取したばかりのオサイチジョージや、適距離は外れるものの、当時既に安田記念(Gl)を勝ち、さらにその年の暮れにはGlに格上げされたスプリンターズSで初代スプリント王に輝くバンブーメモリーがいた。そのほかにも無事是名馬ランニングフリートウショウマリオマキバサイクロンといった脇役たちも揃っていた。・・・だが、そんな相手を向こうに回して先行策をとったラッキーゲランは、好位置から直線そのまま押し切るという横綱相撲を見せて、見事3連勝を飾った。