『それから』

 宝塚記念(Gl)でオグリキャップイナリワンを下してGl制覇を果たしたオサイチジョージに対しては、次代の競馬界を担う新世代のエースとして、大きな期待がかけられた。長く競馬界を支えてきた「平成三強」だったが、イナリワンは既に7歳、オグリキャップスーパークリークも6歳になっており、世代交代のときが迫っていた。新たな勢力の台頭があっても不思議ではない・・・否、なければならない時期を迎えていた。

 オサイチジョージと同期に生まれたクラシック戦線の主役たちは、既にその多くがターフを去っていった。現役として残っているのはサクラホクトオードクタースパートぐらいであり、この2頭も古馬になっての戦績は思わしくなかった。オサイチジョージこそが、「ポスト・オグリキャップ」の最有力候補となるのは、当然のことだった。・・・だが、オサイチジョージに寄せられた期待は、無残なまでに裏切られることになった。

 秋は中長距離の王道を歩むことになったオサイチジョージは、その秋、毎日王冠(Gl)から天皇賞・秋(Gl)、ジャパンC(Gl)、有馬記念(Gl)というローテーションを歩んだ。

 しかし、まず1番人気に推された毎日王冠(Gll)では、同い年の阪神3歳S(Gl)の覇者・ラッキーゲランの4着に敗れた。骨折でクラシックを棒に振ったラッキーゲランは、当時巴賞(OP)、函館記念(Glll)を連勝して勢いに乗っていたとはいえ、オグリキャップイナリワンを破った馬が負けてよい相手ではなかった。

 それでも天皇賞・秋(Gl)で、オグリキャップに次ぐ2番人気に推されたオサイチジョージだが、この時はもう明らかに衰えが見えていたオグリキャップにこそ先着したものの、ヤエノムテキの4着ではそう威張れたものではない。続くジャパンC(Gl)は13着とお話にならない結果に終わり、有馬記念(Gl)では、新進気鋭の4歳馬メジロライアン、ホワイトストーンにまで後れをとって4着に敗れた。しかも、この時先頭でゴール板の前を駆け抜けたのは、「終わった」はずのオグリキャップだった。

 結局オサイチジョージは、宝塚記念(Gl)の勝利の後8戦して、一度も連に絡むことすらできぬまま、91年の有馬記念(Gl)を最後に引退した。オサイチジョージにとって、宝塚記念は、文字どおり彼の一世一代の輝きとなった。