『つま恋の里で』

 このように、競走馬としては長期間にわたって優れた実績を残したラッキーゲランだったが、種牡馬になることはできなかった。このあたりの事情は詳しくは分からないが、地味な血統、そして地味な印象が災いしたのだろうか。

 彼の生涯戦績を数えてみると、Gl馬となった後に走った36戦のうちハンデ戦が16戦を占めている。こういった戦績は、日本では稀である。アメリカでは、重い斤量を背負って勝てるタフな精神力が種牡馬の要素として評価されることも少なくないが、悲しいかな日本競馬の懐はそこまで深くはなかった。

 しかし、そんなラッキーゲランは、やがて安住の地へとたどり着いた。彼は、乗馬としてつま恋乗馬倶楽部に迎えられたのである。多くの名馬を乗馬として繋養している同倶楽部には、同僚としてメジロマックイーンの兄であり、自らも有馬記念菊花賞を制したメジロデュレンなども一緒に繋養されている。戦いに生きてきた競走馬を、乗馬に調教しなおすことには様々な困難が伴うため、「乗馬」といいながら、競走馬が乗馬になる馬は少ない。ラッキーゲランは幸運な例だったということができるだろう。

 種牡馬となれなかったことを不幸と見ることも可能だし、現に種牡馬となれずに「乗馬」となった馬のほとんどが悲惨な末路を遂げていることは、競馬ファンのすべてが知りながら知らないふりをしている競馬界の暗部である。しかし、ラッキーゲランについてはこの公式は当てはまらない。ゴールドシチーが乗馬として生きられなかった失敗例ならば、ラッキーゲランは逆に幸福な成功例と数えることができるのではないだろうか。 (この章、了)

記:2000年3月29日 改訂:2000年11月30日 2訂:2003年4月10日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/