『大穴血統』

 ラッキーゲランが生まれたのは、新冠のロイヤルファーム(現・ビッグジャパンファーム)というところである。

 ラッキーゲランの母プリティゲランは現役時代不出走だが、ミスブゼンに遡るその牝系は多くの活躍馬を出している。この牝系は、日本の誇る「大穴血統」としても知られ、最近では1999年秋の秋華賞(Gl)でブゼンキャンドルが大穴をあけたのは、記憶に新しいところであろう。さらに、1988年のオークス(Gl)を10番人気で制したコスモドリームも、牝系を遡れば、この一族にたどりつく。コスモドリームの母の父は、ラッキーゲランの父ラッキーソブリンであることを考えると、その血統構成も、ラッキーゲランとそう遠いものではない。なお、6頭だての5番人気で阪神大賞典(Gll)を勝ち、種牡馬としてもGl馬(ナリタホマレ:1998年ダービーグランプリ[統一Gl])の父となったオースミシャダイも、この一族である。

 一方、父のラッキーソブリンは地味ながらも堅実な成績を残した種牡馬である。現役時代の15戦1勝という戦績を見ると、魅力に欠ける二流馬とも思いがちだが、唯一の勝ち鞍は英国ダービーの前哨戦ダンテS(英Glll)であり、さらに愛ダービーではザミンストレルの2着に食い込んだ実績がある。・・・とはいえ、現役時代は燃焼しきれないまま終わった感があることは否めないラッキーソブリンの資質は、種牡馬になってから開花した。ラッキーソブリンの日本での種牡馬生活は、現役時代の実績からすると考えられないほどの成功を収め、全盛期にはサイヤーランキングのベスト20の常連としての地位を占めた。

 このように、ラッキーゲランの血統は派手さこそないものの、当時の馬産の水準からみて、走っても不思議ではないレベルには達していた。生まれたラッキーゲランは、気性がやんちゃで手を焼かせるという欠点はあったが、馬体を実際より大きく見せる風格があり、牧場の人々は、その姿に将来の期待を感じていた。

 そんな周囲の期待を反映して、ラッキーゲランは当歳時に早くも栗東池江泰郎厩舎に入厩することが決まった。ラッキーゲラン当歳の1986年といえば、池江師にとってはメジロデュレン菊花賞(Gl)を制した年にあたる。人気厩舎からいい馬の入厩を決めていく競馬界の常識からいって、上り調子の池江厩舎にあっさりと入厩が決まったという事実は、ラッキーゲランが当歳時から光るものを持っていたことの証となるだろう。