『素質だけで』

 しかし、池江師の当初のラッキーゲランに対する見立ては

「まだまだ馬が若い。本格化するのは先になるやろ」

というものだった。当時のラッキーゲランは、同世代の馬たちに比べて成長度が抜きん出ていたわけではなかった。それだけに、ラッキーゲランが早めに仕上がり、8月の函館開催で使えるようになったというのは、意外ですらあった。

 ラッキーゲランは、デビュー戦こそ凡走したものの、折り返しの新馬戦、そしてコスモス賞と連勝を飾った。いずれもスタート直後に先頭に立つとそのまま押し切る、典型的な逃げ切り勝ちだった。その後池江師や騎手たちは、なんとか抑える競馬も教えようとしたが、馬はなかなか従ってくれない。結果が出ない。早々とあげた馬に任せての2勝は、いわば「素質だけで」勝ったレースだった。