『勝利の代償』

 しかし、予期せぬ勝利の代償は、あまりに重かった。未完成の馬体で実力以上の爆走を見せた反動なのか、ラッキーゲランはレース後腰を痛めてしまったのである。ラッキーゲランは生まれ故郷のロイヤルファームへ放牧に出されたが、そのとき彼はろくにコーナーを回れないほどフラフラの状態になっていた。精密検査をしてみると、腰だけでなく、脚の深管まで悪くしていた。

 ラッキーゲランは、乗り運動も満足に出来ない状態で、まず故障を治すことに専念しなければならなかった。翌年にトライアルが始まり、クラシックを目指す新星たちが次々と名乗りをあげる中で、彼はただ1頭で無聊をかこつ日々が続いた。皐月賞ドクタースパート、ダービー馬ウィナーズサークル・・・近年稀に見る本命不在の激戦を制してクラシックホースが次々と誕生する頃、ラッキーゲランの時計はいまだに止まったままだった。

 結局、脚部不安が長引いたラッキーゲランは、春のクラシックどころかついに菊花賞(Gl)にすら間に合わず、4歳シーズンをほぼ1年まるまる棒に振る形となってしまった。彼の世代のダービー馬ウィナーズサークル菊花賞バンブービギンは、いずれもラッキーゲランがGl馬となったときには、まだ未勝利戦をうろうろしていた馬だった。