『ひとつの使命の終わり』

 ウィナーズサークル自身、京都新聞杯のひと叩きで気配が一変していた。追い切りでの素晴らしい走りは、馬がようやく走る気になったかのようだった。そうした気配を受けた菊花賞(Gl)では、京都新聞杯を勝ったバンブービギンに1番人気を譲ったものの、僅差の2番人気に支持された。

 しかし、菊花賞でのウィナーズサークルは、期待に反してまったくいいところがなかった。レース当日に発表された馬体重は、京都新聞杯より16kgも増えていた。レースでの彼も、スタートから中団に付けたのはいいが、馬体重の増加分を引きずったかのように、勝負どころの直線での反応は鈍かった。彼はダービーでみせた差し脚を再現するどころか、むしろ後ろに差されていく体たらくに終わったのである。

 ウィナーズサークルが持つはずの豪脚は全くの不発に終わり、まさかの10着に敗れた。シーホーク譲りのスタミナはどうなったというのか?

 すると、レース後まもなく、その謎は解き明かされることになった。ウィナーズサークルは、この日のレース中に骨折していたのである。その後しばらくは復帰への努力が続いたものの、脚の回復状況は思わしくなく、結局そのまま引退が決まった。

 なお、この年のクラシック馬たちを見ると、菊花賞を制したバンブービギンも、その菊花賞を最後に故障で引退に追い込まれている。最後に残されたのは、皮肉なことに菊花賞は回避した皐月賞ドクタースパートだけだったが、その彼も長い不振へと落ち込んでいく。ダービー馬と菊花賞馬を失った「平成元年クラシック世代」は、古馬戦線では強い昭和63年世代と平成2年世代に挟まれ、苦しい戦いを強いられてゆくことになる。