2000-03-01から1ヶ月間の記事一覧

『つま恋の里で』

このように、競走馬としては長期間にわたって優れた実績を残したラッキーゲランだったが、種牡馬になることはできなかった。このあたりの事情は詳しくは分からないが、地味な血統、そして地味な印象が災いしたのだろうか。 彼の生涯戦績を数えてみると、Gl馬…

『最後の一葉』

ラッキーゲランが最後の輝きを見せたのは、8歳になってからだった。もはや古豪となったラッキーゲランは、まず5歳時、7歳時に続いて3度目の出走となった京都金杯(Glll)で、58kgを背負って13番人気の人気薄ながら過去最高の3着で久々に複勝馬券に絡んで復活の…

『ハンデキャップホース』

その後のラッキーゲランは、実力の限界を悟ったかのように華やかなGl戦線を避け、徹底して裏路線を歩み続けた。時々思い出したかのように中央開催のレースに出たこともあったものの、結果は伴わなかった。 裏路線の別定戦、あるいはハンデ戦では、Gl勝ちをは…

『最後の檜舞台』

毎日王冠(Gll)は、天皇賞・秋(Gl)と同じ東京競馬場で行われ、距離も200m短いだけである。そこで、例年は毎日王冠の勝ち馬が天皇賞・秋の有力候補として、多くの印を打たれる存在となる。 だが、ラッキーゲランの場合、夏以降の戦績にもかかわらず、本番では18…

『勇者は死なず』

ラッキーゲランが阪神3歳S(Gl)の後再びターフに姿をあらわしたのは、12月の中京競馬場、CBC賞(Gll)でのことだった。そのときラッキーゲランは、ファンからはほとんど忘れ去られかけた状態で、ローカルGllで斤量も54kgと恵まれていたにもかかわらず、16頭だて…

『勝利の代償』

しかし、予期せぬ勝利の代償は、あまりに重かった。未完成の馬体で実力以上の爆走を見せた反動なのか、ラッキーゲランはレース後腰を痛めてしまったのである。ラッキーゲランは生まれ故郷のロイヤルファームへ放牧に出されたが、そのとき彼はろくにコーナー…

『あれよあれよ』

本来、この日のラッキーゲラン程度では、人気としては決して脅威になる馬ではない。しかし、アイドルマリーの田原成貴騎手は、ラッキーゲランの動きに何か不吉なものを感じ取っていた。アイドルマリーはラッキーゲランとは前走のデイリー杯で顔を合わせてお…

『気楽に乗れそう』

ラッキーゲランは、5戦2勝で阪神3歳S(Gl)へと進んだ。しかし、この日人気を集めたのは、牝馬ながらデイリー杯を制した実績を買われたアイドルマリー、1戦1勝ながら、2億6500万円で落札された話題馬モガミショーウンを撃破しての新馬戦での勝ち方が注目を集め…

『素質だけで』

しかし、池江師の当初のラッキーゲランに対する見立ては「まだまだ馬が若い。本格化するのは先になるやろ」というものだった。当時のラッキーゲランは、同世代の馬たちに比べて成長度が抜きん出ていたわけではなかった。それだけに、ラッキーゲランが早めに…

『大穴血統』

ラッキーゲランが生まれたのは、新冠のロイヤルファーム(現・ビッグジャパンファーム)というところである。 ラッキーゲランの母プリティゲランは現役時代不出走だが、ミスブゼンに遡るその牝系は多くの活躍馬を出している。この牝系は、日本の誇る「大穴血統…

『幾つもの悲運を経て』

1988年(昭和63年)の勝ち馬ラッキーゲランは、現役時代は「ラッキー」というその名に反して多くの悲運につきまとわれた馬だった。当時、阪神3歳Sを勝って西の3歳王者に輝いた馬はいわば「関西の総大将」としてクラシックに乗り込んでいくのが宿命とされていた…

□第026話 後編1―「ラッキーゲランの章」

1986年4月29日生。牡。栗毛。ロイヤルファーム(新冠)産。 父ラッキーソブリン、母プリティゲラン(母父ネヴァービート)。池江泰郎厩舎(栗東)。 通算成績は、42戦8勝(3-8歳時)。主な勝ち鞍は、阪神3歳S(Gl)、毎日王冠(Gll)、函館記念(Glll)、コ…