1999-05-15から1日間の記事一覧

『戦いに生きたきみのために』

しかし、種牡馬としては苦戦していても、ウィナーズサークルの名は今も日本のサラブレッド史に刻まれている。歴代ダービー馬の中でもとりわけ異彩を放つ、ただ1頭の茨城産、そして芦毛のダービー馬として。 おそらく、彼というサラブレッドを示す「ただ1頭の…

『ロスト・ユートピア』

しかし、ウィナーズサークル産駒が競馬場でデビューする頃、中央競馬には血統革新が起こりつつあった。馬産界でも、スピード化の流れに対応できる輸入種牡馬が優遇される反面、内国産のステイヤー血統は以前よりも需要が落ち込んでいった。 ウィナーズサーク…

『もうひとつの使命』

同期生たちが異世代との戦いに苦しむ一方で、もはやより速く走るという競走馬としての使命を果たすことができなくなったウィナーズサークルは、サラブレッドのもうひとつの使命・・・後世に優れた血を残す種牡馬としての使命を果たすために、北海道の三石で…

『ひとつの使命の終わり』

ウィナーズサークル自身、京都新聞杯のひと叩きで気配が一変していた。追い切りでの素晴らしい走りは、馬がようやく走る気になったかのようだった。そうした気配を受けた菊花賞(Gl)では、京都新聞杯を勝ったバンブービギンに1番人気を譲ったものの、僅差の2…

『新たなる戦いの序曲』

ダービーを制したウィナーズサークルは、ダービー後は「世代ナンバー1」といわれ、秋にかけて菊花賞(Gl)の本命馬として挙げられることになった。ダービーを見事なレースぶりで制した馬が菊花賞戦線で人気になるのは、ある意味で当然のことである。しかも、ウ…

『千分の三の奇跡』

ウィナーズサークルは、日本ダービーの56回の歴史の中で、初めての「芦毛のダービー馬」となった。ウィナーズサークルの「初めて」は、それだけではない。茨城の栗山牧場で生まれたウィナーズサークルだが、茨城県産のダービー馬も、史上初である。 当時の日…

『豪脚爆発』

ウィナーズサークルは、日本ダービーのスタートとともに、勢い良くゲートを飛び出した。スタート直後の第1コーナーではまったく無理することなく3、4番手につけ、皐月賞の再現を狙って手綱を抑える郷原騎手の指示に逆らうこともなく、折り合いをつけながら中…

『素晴らしき一日』

皐月賞がドクタースパートの優勝に終わると、クラシック戦線の関心は、日本競馬の祭典・日本ダービー(Gl)へと移っていった。しかし、この年は皐月賞の後も、傑出馬不在の混戦という評価に変わりはない。というより、皐月賞の時点で既に混戦といわれていた…

『開花』

直線半ばで一気に抜け出して後ろを突き放していったドクタースパートだったが、いつもより前で競馬をしたこともあり、最後には脚が止まっていた。もっとも、悪条件の中での戦いに消耗し切っていたのは、他の馬も同じことだった。彼の後ろにいた馬たちの脚も…

『混迷皐月賞』

1989年(平成元年)の皐月賞戦線は、本命不在の大激戦となっていた。大本命とみられていた無敗の3歳王者サクラホクトオーが、皐月賞(Gl)を前にした不良馬場の弥生賞(Gll)で、見るも無惨な12着に沈んで馬脚を現したためである。かといって、彼に代わる本…

『さても遠き道のり』

ウィナーズサークルが初勝利を挙げたのは通算4戦目で、芝からダートへ替わっての未勝利戦だった。時は既に4歳の1月を迎えていた。 しかも、その後はダートで走ったウィナーズサークルだが、その悪癖は直ることなく、勝利も相変わらず縁遠いままだった。その…

『問題児』

ウィナーズサークルは、美浦でもすぐに評判の期待馬として有名になっていった。血統的に距離が伸びていいタイプと見られており、早熟さには期待できないものの、大いなる素質と将来性を感じさせる馬で、松山師も、預かった時から「ダービーを意識して育てよ…

『神の馬』

クリノアイバーが生んだシーホーク産駒は、他の馬と比べるとやや大柄な体躯の牡馬だった。また、この牡馬には一つおかしなところがあった。毛色は父と同じ芦毛で、それ自体は何らおかしなことではないが、なぜか生まれたときから真っ白だったのである。 普通…

『ダービー馬の周辺』

ウィナーズサークルの父であり、彼に毛色を伝えたシーホークは、長らく日本の競馬を支えたステイヤー種牡馬である。彼の代表産駒としては「太陽の帝王」モンテプリンスとその弟モンテファストという天皇賞馬兄弟が有名であり、さらにウィナーズサークルの翌…

『茨城の誇り』

唯一の日本ダービー馬・ウィナーズサークルは、その生まれからして他の馬たちとは少し違っていた。彼の生まれは「馬産のメッカ」北海道ではなく、関東地方の茨城県だった。戦後の農地解放の際に開かれた栗山牧場の歴史は、戦後の競馬の発展とともにあった。…

『芦毛の時代』

かつて競馬サークル内に厳然として伝えられてきた迷信に、「芦毛馬は走らない」というものがあった。確かに昔は、大レースを制するような強い馬の中に、芦毛馬はほとんどいなかった。しかし、だからといって芦毛馬の能力が劣るわけではないということは、近…

■第013話―芦毛の時代、未だ来たらず「ウィナーズサークル列伝」

1886年4月10日生。牡。芦毛。栗山牧場(茨城)産。 父シーホーク、母クリノアイバー(母父グレートオンワード)。松山康久厩舎(美浦)。 通算成績は、11戦3勝(3-4歳時)。主な勝ち鞍は、日本ダービー(Gl)。 日本競馬界史上ただ1頭の芦毛のダービー馬は…