『嗚呼、Gl馬』

 ゴールドシチーの引退後については、資料も比較的多く、詳細な「その後」を伝えることができる。

 こうして競走生活を引退することになったゴールドシチーだったが、通算成績20戦3勝、Glとはいっても、いわゆる八大競走等と比べて格式は低いとされる阪神3歳Sが唯一の重賞勝ちであり、さらに4歳以降はついに一度も勝てなかったという事実は、ゴールドシチー種牡馬としての商品価値を大きく傷つけていた。一方、ゴールドシチーがGl馬であること、そして4歳以降は勝てなかったとはいっても、皐月賞菊花賞で2着、ダービー4着に健闘しているといった、彼に有利な事実は軽視された。

 もっとも、彼と同じ程度、あるいはもっと悪い競走成績しか残せなかったにもかかわらず、種牡馬入りしている馬は少なくない。ただ、そうした馬には「良血」という別の武器があるのが普通である。ゴールドシチーには、競走成績の不足を補ってくれるはずの「血統」がなかった。牝系が名血というわけでもなかったし、父ヴァイスリーガルの後継としても、その頃既にノーザンダンサーの直系種牡馬は、日本でも過剰になりつつあったため、ゴールドシチー「程度」では、もう特別な売り物にはならなかった。

 戦績、血統とも「中途半端」とみなされたゴールドシチーに、種牡馬としてのチャンスが与えられることはなかった。種牡馬としての供用先が見つからなかったゴールドシチーは、宮崎競馬場で乗馬としての調教を受けることになった。彼もまた、第二の馬生としては、多くのGl馬が歩む種牡馬としての道ではなく、乗馬としての道だったのである。

 もっとも、種牡馬になれなかったことが即不幸である、とは言い切れない。日本では、毎年何十頭もの新種牡馬が馬産地へ帰っていく、もしくは輸入されているものの、その3分の1は、5年後には種牡馬生活を引退しているのが現実である。Gl馬として種牡馬になったものの、ろくに繁殖牝馬と交配してもらえないまま廃用となり、ひどい時には行方不明となってしまうことも、そうまれな話ではない。

 また、ガラスの脚で極限のスピードを追及する競馬の宿命として、現役時代のライバルであったサクラスターオーが、またマティリアルがそうであったように、競争中の事故が原因で命を落とす馬も多い。レース中に命を失うことのなかったゴールドシチーは、種牡馬になったとしても人気になるとは考えにくい以上、早めに乗馬としての生活に馴染んで天寿をまっとうできれば、レース中の事故で非業の死を遂げたり、中途半端に種牡馬になって数年後に種牡馬失格の烙印を押されたりするよりははるかに幸福だったことだろう。

 だが、ゴールドシチーは新しい環境に馴染むことができなかった。現役時代に彼の武器となった激しい気性は、乗馬としての生活には最大のネックとなってしまったのである。