『悲しき抵抗』

 乗馬としての調教を受けるために宮崎競馬場にやって来るサラブレッドの多くは、競走馬を引退した馬たちだった。彼らも、最初は競走馬時代の習性が抜けないのか、他の馬と並んで歩くことを拒んで暴れたり、突然走り出したりすることは珍しくないという。だが、そんな彼らも宮崎競馬場にしばらくいるうちに、新しい環境に次第に慣れてきておとなしくなるのが普通である。彼らに対する乗馬としての調教が可能になるのは、その後のことだという。

 しかし、ゴールドシチーの場合、乗馬としての訓練、そして新しい環境に、いつまでも慣れるということがなかった。

 唯我独尊タイプだったというゴールドシチーは、他の馬との集団生活になじめなかったようである。宮崎競馬場では、人員、設備の都合上の理由から馬を集団管理していたため、そこには自然と馬同士の群れ、序列ができてくる。群れの序列では、新参者は一番のしたっぱとして、目下の扱いを受ける。これは、馬に限らず群れで生活するほとんどの野生生物に共通する掟といっていい。

 この掟には、たいていの馬が最初に痛い目にあわされて戸惑うという。もっとも、普通の馬は2、3日もするとこの掟を理解し、従うようになる。最初はしたっぱとしての扱いに甘んじつつ、あくまでも掟の中で自分の実力を認めさせ、少しずつ「出世」していこうとする。

 だが、ゴールドシチーは違った。最初からしたっぱとしての扱いを一切拒み、掟を無視して誰彼かまわずけんかを吹っかけていった。そんな異端者が仲間からどう見られるか・・・それは、人間の世界を考えれば明らかだろう。ゴールドシチーは、自然と馬の中で孤立し、いじめられることが多くなっていったという。

 当時の宮崎競馬場の場長は、この時期のゴールドシチーについてこう言っている。

「あの子は新しい生活にいつまでたっても慣れようとしなかったし、慣れようと努力してもくれなかった・・・」

 当時宮崎競馬場で調教を受けていた乗馬たちの中で、Gl馬であるゴールドシチーの戦績はずば抜けたものだった。幼駒時代からプライドが高かったという彼の性格も、妥協と融和の妨げになったのかもしれない。

 ゴールドシチーがただの癇馬ではなかったことの証明に、彼は人間にはよく慣れていたという。彼を訪ねてきた見知らぬファンに対しては、いつも愛想をふりまいて喜ばせていたという彼だけに、新しい生活に対する必死の抵抗は、彼の競走馬としてのプライドゆえだったとしか考えられない。

 悲しいかな、プライドが必ずしも幸福をもたらさないのは、人間だけではない。他の馬にいじめられるようになったゴールドシチーの声は、鳴き声ではなく泣き声のようだったという。彼のその声は、孤独なGl馬の

「どうしてオレがこんなところでこんな目にあわなければいけないのか」

という心の叫びだったのかもしれない。