『戦いに生きて ―ゴールドシチー』

 四白流星尾花栗毛メリーナイス以上に目立つ風貌でファンも多かった西の3歳王者ゴールドシチーは、クラシック三冠でもそれぞれ2着、4着、2着と好走を続けた。しかし、そんな彼もついに勝利を得るまでには至らず、古馬になってからはGll3着が2回あるものの、勝利を積みあげることはできななかった。6歳の宝塚記念で10着に敗れたゴールドシチーは、その1戦を最後にターフを去ることになった。

 しかし、いくらGl勝ちがあるとはいっても、ゴールドシチーはもともと血統的な魅力が薄いとされていた上、通算成績は20戦3勝で、4歳以降は一度も勝っていない。そんなゴールドシチー種牡馬としてのオファーはなく、彼はついに種牡馬になることができなかった。

 もっとも、サラブレッドにとって、種牡馬入りが必ずしも幸せにつながるとは限らない。種牡馬になってはみたものの、ろくに繁殖牝馬を集められないまま消えていく馬は、決して少なくない。そのことを考えると、ゴールドシチーが乗馬として引き取られることになったからといって、それ自体が不幸なことだということはできないだろう。

 ゴールドシチーは、乗馬として宮崎競馬場で余生を過ごすことになった。もともとゴールドシチーの見映えの良さは抜群で、競走馬になれなかったら乗馬として東京ディズニーランドに寄付する、という計画まであったほどだった。戦場を去った後の彼は、乗馬として、戦いとは無縁の静かな時の流れに身を任せるはずだった。

 だが、彼の時計が時を刻むのをやめるのも早かった。ゴールドシチーもまた、放牧中の事故で、右前脚に致命的な骨折を負ってしまったのである。

 ゴールドシチーを担当していた厩務員が事故に気付いたとき、彼は目に涙を浮かべながら三本脚で立っていたという。この時の彼は、獣医にももはや手の施しようがなく、安楽死の措置を施すしかなかった。

 事故の原因はついに分からなかったものの、彼の激しい気性が事故を招いた、といわれている。ゴールドシチーはもともと当歳時からやんちゃな気性で、その性格こそが競馬場での勝負根性になっていた。その性格が、こと引退後に関しては、ゴールドシチーの新環境への適応の邪魔となってしまったことは否定できない。気性の激しさゆえに、ゴールドシチーは戦場を離れた平和な土地では、生きることすらかなわなかったのである。

 こうして、サクラスターオーからは2年、マティリアルからも半年遅れただけで、ゴールドシチーの時計も時を刻むことをやめた。メリーナイスは5歳時にサクラスターオー、6歳時にマティリアル、そして7歳時にゴールドシチー、と1年に1頭ずつ、ライバルを失っていった。