『悲しき世代の雄として』

 菊花賞でまさかの大敗を喫したオサイチジョージ陣営は、1990年の始まりを告げる京都金杯(Glll)で、出直しを図ることになった。本命になると思われていたバンブーメモリーが直前で回避したため、重賞2勝の実績は出走馬の中でも格上となり、56kGは他の3頭と並んでのトップハンデ、人気では断然の1番人気となった。

 そして、鞍上には騎乗停止処分が解けた丸山騎手が戻ってきていた。馬は八分程度の出来だったというが、ここでのオサイチジョージは、引っかかりながらも直線入口で先頭に立ってそのまま押し切る横綱相撲で、5歳緒戦を白星で飾った。続く中京記念(Glll)も58.5kGを背負っての1番人気で重賞2連勝し、いよいよ本格化の兆しを見せていた。陣営が次走に選んだのは、天皇賞・春(Gl)のステップレースとなる産経大阪杯(Gll)であり、古馬の一線級との対決を覚悟していた。それは、彼らと同世代の馬たちの誇りを賭けた戦いでもあった。

 菊花賞の後、89年クラシック世代の馬たちの運命は、大きな流転の海へと巻き込まれていった。まず、菊花賞のレース中に骨折したことが明らかになったダービー馬ウィナーズサークルは、戦線を離れてそのまま二度とターフへ戻ってくることはなかった。秋はだらしない競馬を繰り返してファンを落胆させてはいたものの、ダービー馬の脱落はファンに衝撃を与えた。また、菊花賞を制して世代の新しいエースの期待がかけられたバンブービギンも、5歳になって早々、調教中に骨折し、やはり復帰は果たせないままターフを去ることになった。

 こうして菊花賞を最後に、2頭のクラシックホースが姿を消した。秋になってから急成長したバンブービギンについては惜しむ声も多く、主戦騎手の南井克巳騎手は、自分に初めてクラシックをもたらしてくれたバンブービギンの素質に惚れ込み、あのオグリキャップではなくバンブービギン古馬Gl戦線を戦う覚悟を決めていた。オグリキャップ瀬戸口勉厩舎にその旨を伝えた後の故障だけに、その無念がいかばかりだったかは計り知れないものがある。

 残された最後のクラシック馬である皐月賞ドクタースパートは、調整の遅れで菊花賞には出走できなかった。その彼も、皐月賞の後は長く果てしないトンネルに入ってしまい、復調の兆しはなかなか見出せなかった。

 このように故障、スランプが続き、さらに2番手グループも菊花賞2着のレインボーアンバー菊花賞を最後にターフを去るなど、多くの悲運に見舞われていた。そんな彼らは、世代混合戦では大苦戦を強いられていた。クラシック戦線では散々だった3歳王者のサクラホクトオー有馬記念(Gl)で3着に来て少しは溜飲を下げたものの、それ以外には見るべき戦果がほとんど挙げられなかった彼らにとって、オサイチジョージサクラホクトオーと並ぶ世代のエース格となっていた。