1999-10-22から1日間の記事一覧

『天狼星の挽歌』

新世紀を迎えた現在、日本の有力馬の海外遠征も、ようやく当然のものとなりつつある。1998年のシーキングザパール、タイキシャトルを皮切りに、エルコンドルパサー、アグネルワールドら多くの強豪が欧州のGlで戦果を上げ、さらに香港に至っては、2001年に日…

『りんごの唄』

種牡馬となったシリウスシンボリは、名種牡馬モガミの後継という血統、そして「日本ダービー馬」の金看板も手伝ってか、最初のうちは毎年50〜60頭程度の種付けをこなした。数だけをみれば、十分に人気種牡馬といっていい。 しかし、数が多いからといって、質…

『暴行犯シリウスシンボリ』

シリウスシンボリが最後に競馬ファンを騒がせたのは、その翌年である88年、前年に続いて出走した毎日王冠(Gll)だった。しかし、それは4歳の怪物オグリキャップを追い上げて1馬身1/4差の2着に入ったことによるものではない。シリウスシンボリは、レース前に…

『蕩児の帰還』

欧州での約2年間にわたる遠征を終えて日本へと帰ってきたシリウスシンボリだったが、長い遠征と異国での生活が彼に強いた代償は大きかった。ガネー賞(仏Gl)7着を最後に日本へ帰ってきたシリウスシンボリは、もともと神経質だった気性がさらに悪くなり、悪…

『寂しい戦果』

もっともシリウスシンボリにとって、この好走は仇となったのかも知れない。シリウスシンボリは、その後、6歳春まで欧州に滞在したものの、ついに勝つことはできなかったのである。最高の着順は凱旋門賞(仏Gl)のステップレースであるフォワ賞(仏Glll)の…

『転戦』

シリウスシンボリは、次走に備えてドーバー海峡を越え、フランスへと移動した。英仏の馬の行き来など、欧州では当たり前のことである。それに伴って、受け入れ厩舎もフランスのP.L.ビアンコーヌ厩舎へと変わった。ビアンコーヌ厩舎は、当時既に凱旋門賞(仏G…

『世界の厚い壁』

現地の冷たい評価に対して名誉を挽回したいシリウスシンボリだったが、レース直前には、いつもとはまったく違う競馬場の雰囲気に戸惑ったのか、日本では考えられないほどにイレ込んでしまい、久々にゲート入りを嫌がった。そんなシリウスシンボリに対して現…

『世界の最高峰』

欧州では、夏には古馬と4歳の一線級の激突が実現するのが普通である。そして、Kジョージ6世&Qエリザベス2世Sは、その中でも最高のメンバーが揃う大レースのひとつだった。 もっとも、Kジョージ6世&Qエリザベス2世Sに日本馬の参戦がそれまでなかったわけで…

『異邦人』

シンボリルドルフの欧州遠征中止により、シリウスシンボリは単騎欧州へと向かうことになった。そしてシリウスシンボリは、日本とは全然違う欧州競馬の中へと投げ出されることになった。 まずは英国へとわたったシリウスシンボリを受け入れたのは、和田氏とも…

『海外への逃亡』

当時の古馬戦線で日本競馬史上最強の名馬への道をひた走っていたのは、シンボリ牧場の最高傑作である絶対皇帝シンボリルドルフだった。天皇賞・春(Gl)で三度(みたび)ミスターシービーを粉砕してGl5勝目を挙げたシンボリルドルフは、その後も宝塚記念(Gl)…

『果て遠き和解』

「ダービー馬シリウスシンボリ」の誕生は、和田氏とシンボリ牧場にとって、前年のシンボリルドルフに続く2年連続の日本ダービー(Gl)制覇ということになった。和田氏の生産馬のダービー制覇は、他の馬主に売ったサクラショウリも加えて通算3頭目という快挙…

『重圧を退けて』

レースは第3コーナー過ぎ、最後方にいたはずの2番人気スダホークと田原成貴騎手が内(といっても馬場の真ん中辺りだが)から上がっていき、さらに大外からシリウスシンボリも仕掛けたことで、一気に動いた。通常の東京芝コースならば大外といわれかねない位…

『外を狙え』

日本ダービーでも、おそらくほとんどの馬たちは外で外で競馬を進めるだろう。そんな予想が大勢を占めたが、騎手たちの動きはまったくもってその予想どおりとなった。世代の頂点を競うレースとしては、かなりばらついたスタートとなったこの日のダービーだが…

『史上最大の激戦』

日本ダービー当日のレースを見ると、馬たちの動きには大きな特徴がある。普通ならば走る距離を短くするために、どの馬もある程度内を走ることが多いが、この日のレースでは、どの馬も内ラチ沿いはもちろんだが、内のコースどり自体をまったく放棄し、むしろ…

『波乱万丈』

こうしてシリウスシンボリも、遅ればせながらようやくダービー戦線へ向けて動き始めた。だが、そのころダービー戦線では、大きな異変が生じつつあった。シリウスシンボリがいない皐月賞(Gl)を圧勝し、日本ダービー(Gl)での1番人気が約束されていたミホシ…

『皐月賞の裏側で』

こうして若葉賞を制したシリウスシンボリだったが、その後の皐月賞(Gl)は回避し、目標をダービー一本に絞ることになった。皐月賞回避の理由は「脚部不安」といわれたが、実際には皐月賞(Gl)の翌日、シリウスシンボリはシンボリ牧場で、1マイルの併せ馬を…

『勝者なき闘争』

和田氏と二本柳師の対立は、シリウスシンボリの転厩によって収拾に向かうかにみえた。シリウスシンボリの新しい管理調教師は、4歳緒戦となる若葉賞(OP)では、和田オーナーの意向どおりに岡部騎手に騎乗を依頼した。シリウスシンボリは岡部騎手とのコンビで…

『崩壊の序曲』

和田氏と二本柳師。それぞれ競馬に関しては強い信念を持ち、それまで己の信念に従うことのみによって大きな実績を残してきた2人の対立は、時間の経過とともにその亀裂をさらに深め、その修復をほぼ不可能な状態としつつあった。 次走のシリウスシンボリは、…

『二人の騎手』

和田氏と二本柳師の対立は、表面的にはシリウスシンボリへの騎手の乗り替わりの要求として現れた。だが、その底流にあったのが両者の感情的な対立だったことは、2人の話し合いと妥協を極めて困難にしていた。 和田氏が乗り替わりを望んだ岡部騎手は、この年…

『シリウスシンボリ騒動』

シリウスシンボリは、加藤騎手騎乗のままで、次走のいちょう特別へと向かうことになった。和田氏にしてみれば、これは加藤騎手への温情だったのかもしれない。 しかし、ここでのシリウスシンボリは、またもスタートで立ち遅れてしまい、最後方からの競馬とな…

『鈍色暗中』

ただ、初戦のスタートでの失敗は、勝ったからこそ許されるものだった。次走の芙蓉特別に進んだシリウスシンボリだったが、この日も鞍上を任された加藤騎手は、今度は直線で大きなミスをしてしまった。 芙蓉特別で1番人気に支持されたシリウスシンボリは、ス…

『艱難辛苦を友として』

やがて3歳となり、入厩の時期を迎えたシリウスシンボリは、美浦の名門・二本柳俊夫厩舎へと旅立っていった。二本柳師といえば、ホウヨウボーイ、アンバーシャダイなどを手掛けたことで知られる当代でも屈指の調教師である。そんな二本柳師に対し、シンボリ牧…

『シンボリの血』

シリウスシンボリは父モガミ、母スイートエプソムとの間に生まれた。スイートエプソムの父はパーソロンであり、モガミ、パーソロンはいずれもシンボリ牧場の主力種牡馬だった。シリウスシンボリが持つ「モガミ×パーソロン」という配合は、今ならさしずめ、社…

『不世出のホースマン』 

シリウスシンボリが生まれたのは、日本を代表するオーナーブリーダーであるシンボリ牧場でのことである。 シンボリ牧場を大きく育て上げた原動力は、日本競馬に大きな影響を与えた偉大なホースマン・和田共弘氏である。そして、シリウスシンボリの馬生を語る…

『悲しき天狼星』

冬の北天に輝く一等星のひとつに、おおいぬ座のシリウスがある。地球上から見ることのできる星の中で最も強く輝くこの星は、東洋では古くから「おおかみ星」「天狼星」と称されてきた。天空にひときわ強く輝くその姿ゆえに、群れを離れた天駆ける孤狼を思わ…

■第019話―漂泊の天狼星「シリウスシンボリ列伝」

1982年3月26日生。牡。鹿毛。シンボリ牧場(門別)産。 父モガミ、母スイートエプソム(母父パーソロン)。二本柳俊夫厩舎(美浦)。 通算成績は、26戦4勝[うち海外14戦0勝](3-7歳時)。主な勝ち鞍は、日本ダービー(Gl)。 冬の北天に輝くその姿は、あまり…