1999-12-06から1日間の記事一覧

『滅びざるもの』

創設された当初は「日本馬は20世紀中には勝てない」とまでいわれたジャパンCだが、カツラギエースの優勝以後、多くの日本馬が彼に続いた。カツラギエースが優勝した翌85年には、カツラギエースが畏れた1歳下のシンボリルドルフが、1番人気に応えて優勝した。…

『エース・オブ・ジャパンの黄昏』

成績不振からシンジケートも解散されたカツラギエースは、三石の冬沢牧場へと移動し、細々と種牡馬生活を続行していた。冬沢牧場には、カツラギエースがやって来たことを知ったファンがたくさん訪れ、彼はいつも人気者だったという。 しかし、栄光のジャパン…

『それから』

引退後のカツラギエースは、総額3億3000万円のシンジケートが組まれて種牡馬入りした。現役時代の通算成績は22戦10勝、ジャパンC、宝塚記念のGl2勝をはじめとして重賞7勝を挙げ、総賞金額は約4億円に上る。2歳の夏にわずか710万円で競り落とされた子馬が、そ…

『敗れてなお強し』

こうして最後の戦いを終えたカツラギエース陣営だったが、彼らには、不思議なほど敗れた悔しさはなかったという。逃げ馬は展開によって左右される宿命にあるが、今回は陣営の思惑通りに単騎逃げに成功し、馬の実力を出し切った。追い出したときの手ごたえは…

『戦いの日々の終わり』

シンボリルドルフは、カツラギエースを威圧しながら着実に、その差を縮めつつあった。直線に入ると、逃げるカツラギエース、迫るシンボリルドルフによる2頭での追い比べになった。 レース前にファンの支持を三分したミスターシービーは、まだ来ない。彼は、…

『倒れた耳』

しかし、そんなカツラギエース陣営の願いを阻止したのは、やはり彼らが恐れたシンボリルドルフだった。ジャパンCでは「いつでも捕まえられる」という過信ゆえにカツラギエースの逃げ切りを許したシンボリルドルフと岡部騎手は、同じ過ちは繰り返さない、とば…

『最後の戦い』

カツラギエースにとっておそらく現役最後のレースとなるであろう有馬記念(Gl)は、わずかに11頭だてで行われた。理由は簡単、他馬の陣営が「三強にはかなわない」とみて、逃げ出したのである。また、出走してきた他の8頭もさすがに「三強をまとめて負かす」と…

『昼行灯の真意』

もっとも、決戦が近づくにつれて必勝に賭ける気迫がありありと見て取れるようになっていったシンボリルドルフ、ミスターシービーという両三冠馬陣営に比べると、「受けて立つ」立場にいるはずのカツラギエース陣営は、あまりにも飄々としていた。なんとか必…

『三強グランプリ』

日本馬として初めてのジャパンC制覇という偉業を達成したカツラギエースは、その後有馬記念(Gl)を使ってそれを最後に現役を引退し、種牡馬入りすることになった。 もっとも、この話を聞いた西浦騎手は、「もう1年やればもっと強くなるのに。なんて夢のない話…

『静寂、その後、大歓声』

カツラギエースが先頭でゴールに駆け込んだとき、東京競馬場は一瞬の静寂、沈黙に包まれた。日本馬が、勝った。しかし、それはシンボリルドルフでもなければミスターシービーでもなかった。日本人ですら忘れていたカツラギエースが、2頭の三冠馬、そして世界…

『ふたつの秘策』

直線に入って、最内からは英国のベッドタイムがカツラギエースに襲いかかった。脚色がいい。世界の脚色は、並ぶ間もなくカツラギエースをかわして先頭を奪うかに見えた。 しかし、それからがカツラギエースの、西浦騎手の真骨頂だった。西浦騎手はこの日初め…

『大逃げ1騎』

そんな騎手たちの思惑をよそに、カツラギエースは大欅の向こう側でも一人旅を続けた。西浦騎手は、この隙に馬をなだめ、うまく息を入れていた。この時西浦騎手の耳には、後ろの馬の足音すら聞こえてこなかった。これならば、後ろとの差は、少なくとも10馬身…

『膠着状態の中で』

そうこうしているうちに、ファンファーレ、そしてゲート入りの後間もなく、戦いの幕は上がった。スタートの合図、ゲートが開くとともに勢いよく飛び出したのは、やはりカツラギエースだった。スタートしてすぐに先頭に立ったカツラギエースは、その後もペー…

『秘めたる闘志』

このように、着々とジャパンC(Gl)へ向けた準備を進めていた西浦騎手たちだったが、オッズが発表されると激怒した。「なんでうちの馬の人気がこんなに低いんや!? 」 カツラギエースの単勝オッズは、最終的には4060円をつけた10番人気だったのである。他の日本…

『ふたつの秘策』

もっとも、西浦騎手は外国馬の強さを認める一方で、むざむざ玉砕する気はなかった。このとき土門師は他の馬の管理の都合でまだ関西におり、東京の出張馬房でのカツラギエースの当日までの調整は、佐山和勝調教助手、厩務員、そして西浦騎手に任されていた。…

『夢の中で』

一方、日本馬たちの前に立ちはだかる外国招待馬を見ると、日本でいうなら条件馬もどきの馬が混ざっていた第1回の頃とは雲泥の差の、なかなかの強者が揃っていた。 この年の外国招待馬の大将格といわれていたマジェスティーズプリンスは、当時の米国の現役馬…

『暗黒星』

カツラギエースは、確勝を期していたはずの天皇賞・秋(Gl)で、またしてもミスターシービーの後塵を拝してしまった。「このままでは終われない」 そんな陣営の思いを反映して、カツラギエースの次走としては、ジャパンカップ(Gl)が選ばれた。宝塚記念優勝をは…

『栄光、その陰にて』

しかし、ミスターシービーはそんな不安をかき消すように、みるみる上がっていった。カツラギエースも逃げ粘ろうとするが、この日の彼には、毎日王冠の時のような余力は残されていなかった。道中に折り合いで無駄に体力を消耗したことが、カツラギエースの最…

『大舞台での誤算』

カツラギエース陣営が待望していた天皇賞・秋(Gl)は、有力馬の故障もなく、当時として考えうるオールキャストが顔をそろえる形となった。天皇賞・春(Gl)を制したモンテファスト、歴戦の古豪ホリスキー、女傑ロンググレイス、公営四冠馬サンオーイ、前年の有…

『矜持と意地と』

日本最大、最長を誇る府中の長い直線は、逃げ馬にとって永遠に思われるほどのプレッシャーとなって迫ってくるという。実力のない馬が次々と脱落していく中、カツラギエースは先頭で粘っていた。きっと来る、来ないはずがない「あの馬」に対抗するために、こ…

『思惑を超えて』

毎日王冠(Gll)では、カツラギエースにとって久々の実戦になることもあり、西浦騎手は最初、他の馬に先頭を行かせて2、3番手の好位置からレースを進めようと思っていた。しかし、カツラギエースはいっこうに主役にしてもらえない不満を晴らそうとするかのよう…

『還ってきた三冠馬』

古くから天皇賞・秋(Gl)のステップレースとして行なわれてきた伝統のレース・毎日王冠でのファンの注目は、復帰を果たした三冠馬ミスターシービーに集まっていた。ミスターシービーにとっては菊花賞以来となる久々の実戦となる。 4歳時に「クラシック三冠」…

『彼らのための改革』

しかし、周囲の評価はともかく、カツラギエース陣営自身の秋への期待は、非常に大きなものだった。その期待の背景には、この年から実施された大幅な番組体系の変化があった。その変化・・・1984年からは、グレード制の導入を機に天皇賞・秋の距離は2000mに短…

『上がらぬ評価』

こうして宝塚記念で旧世代の強豪たちを撃破したカツラギエースだったが、この時点で彼が名馬としての評価を得られたか、というと必ずしもそうではなかった。 当時のファンの認識では、カツラギエースといえば、前年のクラシックでミスターシービーにまったく…

『中距離王、誕生』

一方、カツラギエースのように綿密な作戦まで立てられなかった関東の有力馬たちは、後ろの方からレースを進めた。彼らにとって、最大の敵であるはずのカツラギエースが、ブルーギャラクシーにくっついていくことで2番手から楽にレースを進めたことは、大きな…

『地の利を生かして』

しかし、阪神競馬場の特徴をよく知る西浦騎手は、このような一般のムードには流されなかった。「関東の有力馬たちはそろって直線での末脚を武器にするタイプの馬で、前につける器用さもないから、直線が短い阪神ならばそう怖くない・・・」 そんな西浦騎手が…

『春が来た』

菊花賞で惨敗を喫したカツラギエースは、その後有馬記念には進まず、笹針を打って休養に入った。彼が復帰したのは、菊花賞から約4ヶ月が経った後の鳴尾記念(Gll)でのことだった。 復帰戦の鳴尾記念こそ、久々の影響もあって4着に敗れたカツラギエースだった…

『トライアル・ホース』

京都新聞杯での優勝・・・それが思いがけないものであったにしろ・・・を受け、土門師はカツラギエースで菊花賞に向かうことを言明した。 実は、土門師は秋の当初から菊花賞を目指すとしていたものの、本当はカツラギエースの距離適性を考え、京都新聞杯の後…

『雷動』

西浦騎手との新コンビで京都新聞杯に臨んだカツラギエースは、ここで人々をあっと驚かせる番狂わせを演じた。三冠への調整過程として西下してきたミスターシービーを完封したのである。 この日の1番人気は、当然のことながら三冠を狙うミスターシービーだっ…

『転機』

日本ダービーの後のカツラギエースは、もう1回レースを使われてから、放牧に出された。 秋になって栗東へと帰ってきたカツラギエースは、神戸新聞杯から始動することになった。夏を越したカツラギエースは、春に比べてずいぶん逞しさを増していたため、土門…