『中距離王、誕生』

 一方、カツラギエースのように綿密な作戦まで立てられなかった関東の有力馬たちは、後ろの方からレースを進めた。彼らにとって、最大の敵であるはずのカツラギエースが、ブルーギャラクシーにくっついていくことで2番手から楽にレースを進めたことは、大きな誤算となった。最初末脚勝負に賭けて後方に陣取っていたホリスキーも、先行馬に逃げ切られることを恐れて早めに仕掛けなければならなかった。だが、それは言葉を変えれば、武騎手、西浦騎手の好機上に翻弄され、レース運びに徹底さを欠いたということでもあった。

 カツラギエースは先行馬として自分のペースでレースを進め、勝負どころを選ぶこともできた。唯一前を行くブルーギャラクシーとの間には底力の差があり、直線半ばではかわして先頭に立った。このころ、カツラギエースを追うべき後続の馬たちは、既に余力を失うか、いくら追ってももう届かない位置に置き去りにされていた。

 その後カツラギエースが走ったのは、阪神の直線というより、中距離王の栄光への一人旅だった。馬群からはただ1頭、同じ関西馬であるがゆえに西浦騎手の作戦を見破り、中団から早めに動いてきた村本善之騎手騎乗のスズカコバンが抜け出して、カツラギエースに追いすがってきただがし、鞍上の作戦どおりにレースを運んで実力を出し切ったカツラギエースは、そんなスズカコバンの追撃も寄せつけることなく、1馬身半差という着差以上の余裕を見せながらゴールへと駆け込んでいった。カツラギエースがこの日見た強い勝ち方は、「中距離王」の名に恥じないものだった。

 西浦騎手の術中にはまった形となった天皇賞・春の上位馬は、ミサキネバアーの4着が最高という惨敗に終わった。人気ではカツラギエースに次いでいたホリスキーは、カツラギエースをとらえるための無理な仕掛けが祟り、10着に敗れたのみならず、屈腱炎を再発させる悲運に泣く羽目になった。

 この年の天皇賞・春は、ミスターシービーカツラギエースといった5歳世代の強豪が不在のまま、6歳以上のいわば旧世代が中心となって争われた。カツラギエースは、このレースでそんな旧世代の強豪たちをことごとく葬った。カツラギエースは、ミスターシービー不在の中、旧世代の強豪たちに引導を渡す役目をも果たしたのである。