『さらば戦場よ』

 さて、天皇賞・秋(Gl)を勝ったことで、1年半ぶりの勝利をGl2勝目で飾ったヤエノムテキは、この年限りでの引退を正式に決定した。皐月賞(Gl)、天皇賞・秋(Gl)の勲章は、内国産馬としてはトップクラスに位置するものである。今度こそ胸を張って種牡馬入りできるはずだった。

 ところが、ヤエノムテキの引退式は、JRAから打診があったものの、荻野師らが相談の上、この話を断ってしまった。シンジケートも組まれつつあるヤエノムテキなのに、引退式の途中で大暴れして故障でも発生してしまっては、元も子もなくない。大人しい馬ならいざ知らず、素行の悪いヤエノムテキに関しては、荻野師も責任を持つことはできなかった。

 だが、この決定は、平成三強時代の狭間でヤエノムテキを応援し続けてきたファンにとっては残念なものだった。

「Glを2勝もした馬だし、別れを告げたかったのに・・・」

とひそかに悲しんだファンも、決して少なくはなかった。この時荻野師、そしてヤエノムテキを応援してきたファン、そしてすべての人々は、ヤエノムテキが彼らのために、一世一代のパフォーマンスをひそかに企んでいたことなど、知る由もない。

 ジャパンC(Gl)で6着に敗れた後、ヤエノムテキはラストランとなる有馬記念(Gl)へと向かった。この年の有馬記念は、時代を彩った名馬たちの世代交代を告げるレースとされていた。いわゆる「平成三強」のうちスーパークリークイナリワンは引退が決まり、オグリキャップ天皇賞・秋ジャパンCと立て続けに惨敗し、有馬記念がラストランに決まっていた。「未完の大器」と謳われ続け、一部では平成三強に次ぐ「四強」にも数えられたメジロアルダンにも、かつてどのインパクトはない。ヤエノムテキとともに時代を支え続けた名馬たちに代わって人気を集めたのは、メジロライアン、ホワイトストーンといった、若い4歳世代の強豪たちだった。

 ヤエノムテキもまた、当然のことながら世代交代をされる側に属する。既に大きな勲章を2つ持っているヤエノムテキにとって、この日は無事にコースを回って戻ってきさえすればいい、文字どおりのただの引退レースとなるはずだった。