『明治男の意地』

 ヤエノムテキは、浦河・宮村牧場という小さな牧場で生まれた。当時の宮村牧場は、家族3人で経営する家族牧場で、繁殖牝馬も6頭しかいなかった。宮村牧場の生産馬からは、古くは東京障害特別を連覇したキンタイムという馬が出たものの、他には特に有名な馬を出すこともなかった。

 宮村牧場の場長だった宮村岩雄氏は、頑ななまでに創業以来の自家血統を守り続ける、昔気質の生産者だった。宮村氏が独立する際、ただ1頭つれて出た繁殖牝馬が、ヤエノムテキの4代母となるフジサカエである。その後、小さいながらも堅実な経営を続けた宮村牧場は、フジサカエの血を引く繁殖牝馬の血を細々とつないでいき、特にフジサカエの孫にあたるフジコウは、子出しのよさで長年にわたって宮村牧場に貢献する功労馬となった。ヤエノムテキの母であるツルミスターもまた、宮村牧場でフジコウから生まれ、そして宮村牧場に帰ってきた繁殖牝馬の1頭だった。

 ただ、フジサカエの末裔は、確実にある程度までは走るものの、重賞を取るような馬はなかなか出せなかった。一族の活躍馬を並べてみても、地方競馬での活躍の方が目立っている。そのため宮村氏は、周囲から

「その血統はもう古い」
「まだそんな血統にこだわっているのか」

とからかわれることも多かった。しかし、宮村牧場ではあくまでもフジサカエの一族にこだわり続け、この一族に優秀な種牡馬を交配し続けてきた。それは、馬産に一生を捧げてきた明治生まれの宮村氏の、男として、馬産家としての意地だったのかもしれない。