『平成三強時代の中で』

 競馬界が盛り上がるための条件として絶対に不可欠なのが、実力が高いレベルで伯仲する複数の強豪が存在することである。過去に中央競馬が迎えた幾度かの黄金時代のほとんどは、そうした名馬たちの存在に恵まれていた。強豪が1頭しかいない場合、その1頭がどんなに強くても、競馬界全体はそう盛り上がらない。また、たとえレースのたびに勝ち馬が替わる激戦模様であっても、その主人公たちが名馬としての風格を欠いていたのでは、やはり競馬人気の上昇に貢献することはない。

 その意味で、これまでの競馬ブームの中で競馬の大衆化が最も進んだといわれる1988年から90年にかけての時代・・・オグリキャップとそのライバルたちを中心とする「平成三強」の時代は、理想的な条件が揃っていたということができる。「平成三強」の競馬を一言で言い表すと、3頭が出走すればそのどれかで決まるが、どれが勝つのかは走ってみないと分からない・・・そんな表現になる。確かにこの時代、競馬ブームの火付け役となったのはオグリキャップだったが、この時代を語る際に、その好敵手だったスーパークリークイナリワンの存在を欠かすことはできない。彼らの活躍と死闘に魅せられた新しいファン層は、その後90年代前半に中央競馬が迎えた空前絶後の繁栄期を支え、競馬人気の拡大に大きく貢献した。「平成三強」なくして88年から90年代前半にかけての競馬ブームは存在しなかったというべく、オグリキャップをはじめとする「平成三強」が競馬界にもたらした功績は、非常に大きいといわなければならない。

 もっとも、競馬界全体には大きな貢献をもたらした平成三強だが、彼らと同じ時代に走った馬たちからしてみれば、迷惑なことこの上ない存在だったに違いない。大レースのほとんどを次元の違う三強によって独占されてしまうのだから、他の馬からしてみればたまらないだろう。しかも、次元の違う馬が1頭しかいなければ、その馬が出てこないレースを狙ったり、あるいはその馬の不調や展開のアヤにつけこんで足元をすくうことも可能かもしれない。だが、そんな怪物が3頭もいたのでは、怪物ならざる馬たちは、もはや手の打ちようがない。

 しかし、そんな不遇の時代に生まれながら、なおターフの中で自分の役割を見つけて輝いた馬たちもいる。1988年皐月賞(Gl)と90年天皇賞・秋(Gl)を勝ったヤエノムテキは、そんな個性あるサラブレッドの1頭である。

 ヤエノムテキ自身の戦績も、上記のGl、それもいわゆる「八大競走」と呼ばれる大レースを2勝していることからすれば、時代を代表する実力馬と評価されても不思議ではない。だが、彼の場合は生まれた時代が悪すぎた。同じ時代に生きた「平成三強」という強豪たちがあまりに華やかで、あまりに目立ちすぎていたため、Glで2勝を挙げたといってもそのひとつは「平成三強」とは無関係のレース、もうひとつは唯一出走したオグリキャップが絶不調だったヤエノムテキは、その素晴らしい戦績にもかかわらず、時代の主役として認められることはなかった。

 そんな彼だったが、自分に対するそんな扱いを不服とすることもなく、あくまでも脇役としてターフを沸かせ続けた。やがて、2度にわたって府中競馬場の2000mを舞台とするGlを制した彼は、脇役の1頭としてではあるが、やはり時代を支えた個性派として、ファンから多くの支持を受ける人気馬になっていったのである。