『宴の後・・・』

 ヤエノムテキによる意外な座興でヘンに沸いたこの日のレースだが、その終末は劇的なものだった。秋は惨敗続きで「終わった」とみられていたオグリキャップが、充実一途の4歳馬たちを抑え込み、奇跡の復活を果たしたのである。スタンドは、かつては宿敵だった武豊騎手を背にして凱旋するオグリキャップを、壮大な「オグリ・コール」で迎えた。日本競馬のひとつの壮大な物語は、こうして大団円を迎えた。まるで筋書きでもあるかのような劇的なドラマに、競馬ファンは誰しもが酔った。

 その一方で、レース前に観衆の目を独り占めにしたヤエノムテキは、レースが始まると、自分は何事もなかったかのように凡走し、可もなく不可もない7着となってさっさとターフを後にした。まるで、「自分の役目はもう終わりました」といわんばかりだった。

 しかし、ヤエノムテキの「引退式」は、結果的にオグリキャップによる復活劇の、重要な布石となった。ヤエノムテキの放馬とその後の馬体再検査によって延びに延びた発走時刻にペースを狂わされたのは、主として若い4歳馬たちだった。そんな彼らは、レース自体もスローペースで流れたことで、折り合いがつかなくなって体力と気力を消耗していった。タイム的には同日の同コースで行われた準オープンより遅い決着になったにもかかわらず、4歳馬たちがオグリキャップをとらえることができなかった原因は、そこにある。若い馬たちが自らをコントロールできなくなっていった中で、実力的には確実に衰えていたものの、百戦錬磨の経験は持っていたオグリキャップだけは、己を見失うことなく今の自分の力を100%出し切ることができたのである。

 あるいは、ヤエノムテキは自分がオグリキャップの脇役に過ぎないことを感じとっていたのかもしれない。自分にとってもオグリキャップにとってもラストランであるこのレースで、自らを「捨て石」にして喜劇を演出し、さらに感動のラストの布石を張ったヤエノムテキは、最後の最後、一番おいしいところを主役に渡して、自分は満足とともにターフを去っていった。