『時代の流れが速すぎて』
現役引退後、総額5億円のシンジケートが組まれヤエノムテキは、北海道へ帰って無事に種牡馬入りを果たした。しかし、その後の時代は、ヤエノムテキに味方しなかった。
まず、この時期の馬産界は、バブル経済の勢いを駆って、強い円の力で次々と海外の最強クラスの名馬たちを種牡馬として輸入していた。トニービン、ブライアンズタイム、ダンシングブレーヴ、そしてサンデーサイレンス・・・。それまでならば日本に来ることなど夢にも考えられなかった世界的な名馬たちが次々と流入したことにより、馬産界における血統勢力図は、大きく変化せざるを得なかった。
そんな時代の変化の余波を直接受けたのは、以前から日本に根付く血統を持つ内国産馬たちだった。ヤエノムテキの血統も、激しく移りゆく時代の流れの中で、もはや古いものとなりつつあった。
多数の世界的名馬の流入を背景に、馬産地では種牡馬が過剰になり、特に内国産馬に対する種牡馬の能力の見切りは異常に早くなっていった。初年度産駒がデビューしたのが1994年のヤエノムテキだが、96年には早くもシンジケートが解散してしまった。デビューしたのは3世代、初年度産駒ですら5歳のうちに見切りをつけられたのでは、晩成型の種牡馬はたまったものではない。だが、それが馬産地の厳しい現実だった。
サラブレッドが経済動物である以上、人間の事情はヤエノムテキに否応にも及んでくる。シンジケートの後見を早くも失ってしまったヤエノムテキは、種牡馬生活を続行できなくなる危機に陥った。