『報われたわがまま』

 ヤエノムテキの勝利に驚いたのは、ファンだけではなかった。ヤエノムテキの生産者である宮村氏は、この日ヤエノムテキが勝ってしまうとは夢にも思わず、同じ日に上京する友人に

「間違って勝ったら、代わりに口取り式に出て」

と頼んで送り出し、自分は牧場に残ってしまった。テレビの前でひっくり返ったものの、後の祭りである。

 そんな宮村氏をよそに、友人は「約束」を守った。ヤエノムテキ皐月賞後の記念写真に収まっているのは、宮村氏本人ではなく、彼に頼まれた友人である。おかげで、その光景を見て彼をヤエノムテキの生産者であると誤解した人も多く、やはりサラブレッドの生産を手がける友人の家には、その後かなりの数の祝福の電話がかかってきたという。

 もっとも、一生を馬産に捧げてきた宮村氏にとって、クラシック制覇とは、あまりに遠い夢だった。自分がそのレースを見られなかった無念など、自分の生産馬がクラシックを勝ったことの喜びに比べれば、問題にならない。彼はこのレースについて

「フジコウが勝たせてくれた」

という。5年前に高齢のため繁殖牝馬を引退したものの、長年牧場のかまど馬として働いてくれた彼女を処分するに忍びなく、ずっと功労馬として繋養してきた。

「この年寄りの最後のわがままを聞いてくれ。わしの目の黒いうちは、どんなに苦しくてもフジコウの処分だけはまかりならん・・・」

 そういい続けてきた彼は、自分の思いがフジコウに通じたのだと信じて、ヤエノムテキの祖母に手を合わせて感謝したという。