『荒削りな原石』

 さて、ヤマニンスキーとツルミスターの間に生まれたヤエノムテキは、当歳の頃から大柄な上、非常にやんちゃな気性だった。元気が良すぎて他の馬をいじめるため、1頭だけ別の放牧地に「隔離」されることも多かったという。もっとも、母のツルミスターと同じくヤエノムテキも管理することになった荻野師にいわせると、ヤエノムテキは他の馬がいない放牧地で自由気儘に走り回れたからこそ丈夫な身体になったといえるが、その反面、「隔離」された生活のせいで他の馬や人間に決して妥協しないわがままな性格も形成されたのではないか、とのことである。

 やがて荻野厩舎へ入厩したヤエノムテキは、その性格が生来のものなのか、それとも宮村牧場での「隔離」のせいだったのかは不明だが、わがままな性格でスタッフの思うとおりに動かず、非常に手を焼かせる存在だった。他に腰が甘かったり、骨瘤を発症したり、といった体質面での問題もあり、レースを目指しつつなかなか馬体が仕上がらないヤエノムテキのデビューは、遅れるばかりだった。

 しかし、荻野師はヤエノムテキの調教の進め方に四苦八苦しながらも、彼が非凡な才能を持っていることだけは、はっきりと確信していた。4歳の2月、ようやく新馬戦への出走を果たしたヤエノムテキの鞍上には、西浦勝一騎手の姿があった。荻野師は、西浦騎手に騎乗を依頼する時、

「クラシックに間に合うのがいるから、乗ってみないか」

と誘いをかけたという。西浦騎手は、

「こんな時期にそんな馬がそうそう残っているなんて、本当だろうか」

と半信半疑ではあったものの、荻野師の自信に引きずり込まれるような形で、ヤエノムテキの騎乗依頼を受けることにした。