『府中が泣いた』

 レースを終えた府中の大観衆は、柴田騎手とウイニングチケットの栄光に熱狂した。馬券を取った者はもちろんのこと、取れなかった者も含め、誰もがこの結果に納得していた。道中の不利を感じさせない実力で最後まで粘ったビワハヤヒデ、自分のレースに徹して大舞台で皐月賞に続く末脚を見せたナリタタイシン。そのいずれもが、ダービー馬となっても決して恥じないレースだった。だが、そんな彼らを抑えて頂点に立ったのは、柴田騎手の27年間の歴史と夢の重みと人馬一体の好騎乗だった。すべてを賭けた戦いの果ての結果に、ファンは誰もが損得抜きの拍手と祝福を送った。

 やがて、観客席の中からはじわじわとただ1人の勝者のためのコールが巻き起こった。気付いた人々は、遅れじとそれに唱和した。彼らは

「政人! マサト! 」

と勝者の栄光を讃え続け、唱和するファンの中には涙を流している者も少なくなかった。今なお伝説として語り継がれる、府中が泣いたマサト・コールだった。

 もっとも、この涙の背景には、ひとつの勘違いもあった。ダービー前のマスコミは、柴田騎手のコメントを取れなかったため、それに代えて

「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい」

という言葉をこぞって報道した。ところが、それらの報道の中には、どこで話がどう間違ったのか、「やめてもいい」が「やめる」として伝わったものがあった。

「ダービーを勝ったら、騎手をやめる」

 これが柴田騎手のコメントであると勘違いしたファンもおり、中には泣きながら

「政人、やめないでくれ! 」

と叫んでいる者もいたという。これには、柴田騎手も苦笑いするばかりだった。

 しかし、そんな野暮は抜きにして、このときの「政人コール」が最近の競馬界でも屈指の名シーンだったことは確かである。

 柴田騎手は、勝利インタビューで

「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です、と言いたい」

と喜びを語った。柴田騎手が海外に行った時に、彼の周囲の人々は彼のことを「日本の一流騎手」と紹介してくれるが、そう紹介された相手からは

「では、シバタはジャパン・ダービーを何度勝ったのか」

と聞かれることが少なくなかった。そのたびに

「俺はまだ本当の意味での一流騎手ではないんだ」

と悔しい思いをしてきた柴田騎手は、この日ついに悲願を果たすとともに、騎手としてのひとつの到達点に達したのである。また、感想を聞かれた伊藤師も、自らもダービーは初制覇であるにもかかわらず、

「自分でダービーを勝ったことももちろんうれしい。でも、それ以上に政人でダービーを勝ったことが嬉しいんです」

と語っている。勝者はもちろんのこと、岡部騎手、武騎手といった敗者も、誰もが柴田騎手の好騎乗を讃え、その悲願の実現を祝った。この日に限っては、すべてのホースマンが柴田騎手のダービー制覇を祝福したと言っても過言ではない。第60回日本ダービーは、そんな幸せな光景によって幕を下ろしたのである。