『不完全燃焼の秋』

 ウイニングチケットは、種牡馬として馬産地へ帰ってきた。ダービー制覇以降は今ひとつ不完全燃焼に終わった感のあるウイニングチケットだったが、種牡馬としての人気は、実績と血統背景が評価され、かなり高いものだった。ウイニングチケットの父トニービンは、ウイニングチケット以降も多くの強豪を輩出して人気種牡馬であり続けたが、ウイニングチケットはその後継種牡馬としての需要も集め、毎年70〜80頭の種付け頭数を確保したというのは、内国産種牡馬としては大人気の部類に入る。

 1998年にデビューした初年度産駒は地方でデビューする馬が多く、それほどの馬は表れなかったウイニングチケット産駒だが、3年目の産駒からはフェアリーS(Glll)を勝ったベルグチケットを送り出し、重賞馬の父となった。現在も中央競馬にはウイニングチケット産駒のオープン馬がおり、彼の種牡馬としての評価は安定傾向にある。

 とはいえ、現役時代の成績を基準にすれば、そろそろ中長距離戦線でも活躍馬を送り出してもいいはずである。トニービンの後継種牡馬サクラチトセオージャングルポケットが現れている現在だが、トニービン自身が2000年に死亡した情勢の中では、ウイニングチケットの血統的価値は決して下がってはいない。

 騎手を引退して調教師となった柴田騎手改め柴田師は、その後自らの厩舎を開業して再びのダービー制覇を目指している。日本ダービー制覇という悲願を目指してともに戦った柴田師とウイニングチケットは、それぞれの道の中で今を生きている。

 競走馬と騎手として日本競馬界最高の祭典であるダービーを制したこの名コンビには、今度は種牡馬と調教師として、もう一度ダービーを目指してほしいものである。府中を震わせた日本ダービー史上・・・日本競馬史上でも一、二を争うであろう名シーンが神話となる前に、その再現をもう一度最高のコンビで実現する日がいつかやってくることを願わずにはいられない。柴田政人ウイニングチケット・・・そのコンビこそが、誰よりも府中にはよく似合うのだから―。[完]

記:1999年5月28日 補訂:1999年6月4日 2訂:2000年9月3日 3訂:2003年3月31日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/