『遠ざかる背中』

 トライアルの内容、そしてレース直前の両陣営の気配から、日本ダービー勝馬と、2着馬の地位は逆転した。菊花賞(Gl)で1番人気を奪ったのは、ウイニングチケットではなくビワハヤヒデの方だったのである。

 ちなみに、平成新三強の一角を占めたナリタタイシンは、夏に肺出血を起こしたことが伝えられ、ぶっつけで菊花賞には間に合わせたものの、優勝戦線からは大きく後退を余儀なくされていた。実質的には、ウイニングチケットビワハヤヒデの一騎打ちだった。

 だが、夏に浜田師の猛トレーニングに耐え抜いたビワハヤヒデは、春とはすっかり馬が変わっていた。ビワハヤヒデは、もともと能力の高さは疑うべくもなく、折り合いも自在につけられる器用な馬である。その馬が、夏の猛トレーニングによって、それまで欠けていた瞬発力をも備えるに至った。それに対して、ウイニングチケットがダービー後に得た上積みは・・・ライバルに比べると、劣っていたといわなければならない。

 ゲートが開くと、神戸新聞杯で逃げを披露したネーハイシーザーが行かなかったため、先頭を行く馬がいなくなってしまった。もともと逃げる気のなかった馬たちが仕方なく先頭に立ったものの、騎手たちはなんとか目標にされる不利を避けたいと願い、他の馬が前に出ようとするとこれ幸いと手綱を抑え、なんとか他の馬に先頭を譲ろうとする。これではペースが上がろうはずもなく、先頭はめまぐるしく入れ替わるものの、実際にはスローペースという展開となった。そんな中で、ビワハヤヒデは3番手の好位置にとりついていた。

 スローペースは、折り合いに難があるウイニングチケットにとっては、明らかにマイナス要素だった。さらに、前が止まらないスローペースになれば、いくらウイニングチケットの末脚が爆発しても、京都のそう長くない直線では、ビワハヤヒデに届かない。

 柴田騎手は、京都競馬場の1周目こそ後方に待機していたものの、スローペースに危険を察知し、早めに進出を開始した。二度目の坂ではじわじわとビワハヤヒデとの差を詰め、直線に入る第4コーナーではビワハヤヒデの後ろ、5番手まで押し上げていた。

 だが、その後ビワハヤヒデは加速し、ウイニングチケットをはじめとする後続を、みるみる突き放していった。スローペースの不利を挽回すべく、柴田騎手が早めに動かしたウイニングチケットだったが、それからはビワハヤヒデにあっとという間に置いていかれてしまった。2馬身、3馬身・・・その差はみるみる広がっていった。

 この日のウイニングチケットは、早めに動いたことがたたったのか、ビワハヤヒデに突き放されただけでなく、ステージチャンプとの競り合いにも敗れ、3着に沈んでしまった。ビワハヤヒデが2着のステージチャンプにつけた着差は5馬身差であり、ウイニングチケットはそのステージチャンプからさらに半馬身後方にいた。

 レースの後、柴田騎手は距離適性と展開を敗因としてあげた。だが、伊藤師は

「思う通りにレースをしたとしてもビワハヤヒデにはついていけなかったかも知れない」

と完敗を認めた。夏の間の成長力は、ビワハヤヒデウイニングチケットというライバル同士の距離を、いつの間にか大きく隔ててしまっていた。

 こうして「平成新三強」のクラシックは、皐月賞ナリタタイシン日本ダービーウイニングチケット、そして菊花賞ビワハヤヒデと、3頭で三冠をひとつずつ分け合う形で終わりを告げた。・・・だが、きたる古馬戦線で主役を張っていくのがどの馬なのかは、菊花賞の結果に暗示されていた。直線でみるみる遠ざかっていったライバルの背中は、開いてゆく彼らの地位を象徴していた。