『三顧の礼』

 柴田騎手は、伊藤師の依頼になかなか首を縦に振ろうとはしなかった。彼は、自分が勝たせることができなかった新馬戦へのこだわり、関東の自分が主戦騎手となることで生じるローテーションの調整の難しさなどを気にしていた。・・・だが、伊藤師の思いはひとつだった。

「政人、そんなことは問題じゃないんだ・・・」

 伊藤師の思いとは、ウイニングチケットにダービーを勝たせたい、そして柴田騎手にダービーを勝たせたい・・・ただそれだけだった。柴田騎手がダービーに強い思い入れを持ちながら、この日まで未勝利のままだったことは、当時のホースマンなら知らぬ者がない公然の事実だった。

 それでもなかなか首を縦に振らない柴田騎手に対し、伊藤師は行動で自分の思いを示した。3戦2勝のオープン馬であるウイニングチケットの次走は、関西のラジオたんぱ杯3歳S(Glll)と予想されていた。ところが伊藤師は、そのレースを捨ててウイニングチケットを中山のホープフルS(OP)へと連れていった。ふたつのレースを比べると、ラジオたんぱ杯の方が輸送もないし、賞金も高い。それでもこのレースを選んだのは、表向きは「中山2000mの皐月賞と同じコースで行われるから」と言われたものの、実際には伊藤師が柴田騎手に乗りやすいようにした配慮にほかならなかった。

 そして、伊藤師の熱情に打たれた柴田騎手は、ついに覚悟を決めた。通算4戦目となるホープフルSでは、ウイニングチケットの鞍上には、デビュー戦以来の柴田騎手の姿があった。柴田騎手は、そこまでして自分の鞍上にこだわってくれた伊藤師の恩に報いるため、こう約束した。

「来年のクラシックは、この馬で行きます。これからは、私の全部の騎乗予定は、この馬に合わせて決めさせてもらいます・・・」

 こうしてウイニングチケットの主戦騎手は、柴田騎手に決まった。柴田騎手は、伊藤師の期待にこたえて後続を3馬身突き放す楽勝を収め、彼を三顧の礼で主戦騎手に迎えた伊藤師を満足させた。彼らの第60回日本ダービーへと続く旅は、ここに始まったのである。