『熱情』

 伊藤師は、まずウイニングチケットのデビュー戦を札幌での新馬戦に決めた。柴田騎手は、毎年夏競馬では、北海道で騎乗することが多い。中央開催が始まってからでは、柴田騎手に本拠地の違う伊藤厩舎の馬に乗ってもらえる可能性は低くなる。

 伊藤師は、最初から柴田騎手以外の騎手をウイニングチケットに乗せる気はなかった。当時の競馬界では、柴田騎手は同期の岡部幸雄騎手と並ぶ関東の、そして日本の騎手界の双璧とされていた。だが、岡部騎手は「岡部乗り」という言葉があるように、どちらかというと先行しての好位からの競馬を得意とする。その点柴田騎手は、岡部騎手とは対照的に、むしろ中団より後ろから追い込む競馬でいい味を出すタイプである。伊藤師の見立てでは、ウイニングチケットの力を引き出せるのは、柴田騎手の騎乗だった。

 だが、柴田騎手とウイニングチケットのコンビが、そう簡単に結成されたわけではない。デビュー戦では柴田騎手が騎乗したウイニングチケットだったが、この日は5着に敗れてしまった。距離不足、不良馬場など、不運な要素がいくつも重なっていたことは事実だが、負けは負けである。柴田騎手は、伊藤師が関西からわざわざ自分のために連れてきてくれた素質馬を負けさせてしまったことに責任を感じた。さらに、伊藤師は次週の新馬戦に折り返しでウイニングチケットを使うことにしたが、この時彼は、以前から海外遠征の予定を入れてしまっていた。

 ウイニングチケットは、柴田騎手ではなく横山典弘騎手で初勝利を挙げた。それでも伊藤師は、柴田騎手を諦めない。次走の葉牡丹賞では、再度柴田騎手に騎乗を依頼した。ところが、この日柴田騎手には、別の馬からも騎乗依頼が入っていた。そして、柴田騎手は、その馬の調教師に義理があり、その調教師から強く騎乗を言われると、断ることができない立場にあった。柴田騎手は、今度もウイニングチケットの騎乗を辞退した。

 そこで伊藤師は、考えた。もし新馬戦で勝った横山騎手を引き続き乗せたり、本拠地が関西の騎手を乗せたりしたら、柴田騎手はこの後頼んでも、騎乗を辞退するだろう。義理堅さで知られる柴田騎手が、ウイニングチケットに2戦続けて騎乗した若い横山騎手から「奪ったり」、関西の調教師に依頼されて先のことも期待するであろう関西の騎手から「横取りしたり」するはずがない。

 そこで伊藤師は、あくまでも柴田騎手の「代打」として、関東の若手でたまたま予定が空いていた田中勝春騎手に騎乗させた。田中騎手は、最後方から向こう正面一気に進出して直線では後続をみるみる突き放すという豪快な競馬でウイニングチケットを勝たせたが、伊藤師の意中の人は、あくまでも柴田騎手だった。