『決戦の刻』

 そしてやってきた日本ダービー(Gl)当日。3年前に日本で生まれた1万頭近いサラブレッドたちの頂点を決する競馬界最大の祭典、そして決戦の日である。この日出走を許された18頭のそれぞれが、どのような戦いを繰り広げるのか。夢をつかむのは、どの馬なのか。誰もがかたずを呑んで見守る中で、運命のレースのゲートが開いた。

 スタートと同時に、マルチマックスが落馬した。人気薄で大勢に影響がないともいえたが、ターフに投げ出された南井騎手にとっての93年の夢は、スタートとともに終わってしまった。翌94年にはナリタブライアンで初めてのダービーを勝つことになる彼だが、そんなことは知る由もない。

 レースの展開は、アンバーライオンが逃げて、ドージマムテキがそれに続く形となった。ビワハヤヒデはいつもよりはやや後ろで、ちょうど中団あたりにつけた。ウイニングチケットはというと、スタート地点こそ10番枠だったが、第1コーナーまでにすになりと内ラチ沿いへと入り込み、ビワハヤヒデの後ろにつけた。柴田騎手は、ダービーでも皐月賞と同じように、中団からの差しで勝負する覚悟を決めていた。ナリタタイシンは、この日も思い切って一番後ろからの競馬になった。

 内ラチ沿い、馬群の中で競馬を進めるウイニングチケットは、かかって実力を発揮しきれなかった皐月賞と異なり、今度は人馬一体となってぴたりと折り合っていた。この日の彼の行き脚は実に良く、レースの流れに乗り、じわじわと前へ進出していった。

 だが、そんなウイニングチケットには、ひとつの難題があった。内で競馬を進める場合、走る距離としては短く済ませられる反面で、直線では前が壁になってしまう可能性が高いリスクも常に背負っている。馬群の中からの競馬では、なおさらである。ウイニングチケットの柴田騎手は、あくまで内を衝くのか、それともどこかで外に持ち出すのか、決断を迫られた。それは、内にいるビワハヤヒデの岡部騎手も同じことである。