『決戦前夜』

 ウイニングチケット陣営のみならず、ビワハヤヒデ陣営、ナリタタイシン陣営ともダービーに向けての気配は絶好で、本番では最高の調子で三強が相まみえることが予想され、かつ期待された。三強の牙城を崩すことを狙うそれ以外の馬たちも、虎視眈々と下剋上のチャンスを狙っていた。

 この年の出走馬のレベルの高さを物語るのが、出走馬たちの本賞金の高さである。この年のダービー出走のための最低ラインは、1700万円だった。そのため、若草S(OP)勝ちを含めて3勝の実績があった馬は抽選によって、2勝に加えて毎日杯(Glll)2着の実績があった馬に至っては、抽選に加わることすらできずに除外の憂き目をみた。そのような厳しい選別の過程を経てゲートへとたどり着いた出走馬たちの中で三強に続く支持を集めたのは、デビュー3戦目の皐月賞で3着に大健闘したシクレノンシェリフNHK杯(Gll)の勝ち馬でシンザンミホシンザンの血の系譜を継ぐマイシンザン皐月賞ウイニングチケットに先着しながら降着の憂き目にあったガレオンなどだった。他にも、後の天皇賞・秋(Gl)を制するサクラチトセオー、名牝ダイナアクトレスの子で、菊花賞(Gl)と天皇賞・春(Gl)で2着に入るステージチャンプの姿もあった。

 充実した出走馬、白熱する各陣営。ダービーを翌日に控えた競馬界に流れたのは、前年の二冠馬ミホノブルボンを育てた戸山為夫調教師の訃報だった。人々は、時の流れの速さにため息をついたが、それは決戦を前にした感傷にすぎない。翌日の決戦に向けて、時計の針は着実に動いていった。