『新天地へ』

 そんなダイユウサクに転機が訪れた。1998年春、北海道の浦河町に、日本有数の総合競馬観光施設「AERU」がオープンすることになった。その際、観光の目玉としてダイユウサクを招きたい、という申し出があったのである。

 「AERU」はファンが競走馬と親しめる施設であることを目玉とする観光施設である。設立当初は、その一環として種牡馬生活を引退した名競走馬の功労馬牧場を設けることが予定されていた。種牡馬として成功できずに不遇の後半生を送っている名馬達を引き取って繋養すれば、日本の競馬界の課題である競走馬の余生の保証に役立つばかりか、現役時代の彼らのファンの関心を引き、「AERU」に観光に来てもらう、という一石二鳥が可能ではないか。・・・そして、その第1号として白羽の矢が立てられたのが、ダイユウサクだった。

 このころには、ダイユウサク種牡馬としての将来は、もはや見込みが立たなくなっていた。まだ数に恵まれたといえる初年度産駒の中から大物を輩出すれば復活の目もあったのだろうが、地方での活躍馬こそ出したとはいえ、中央で良績を残さないと種牡馬としての人気は上がらない。そして、中央入りした初年度産駒の中からは、父の名を高めてくれるような馬が登場する兆しはなかった。そうすると、いないに等しい2年目以降の産駒に淡い、余りに淡い期待を掛けるよりは、乗馬としてであっても多くのファンに愛されて余生を保障してもらえる方が、ダイユウサクにとって幸せかもしれない・・・。

 かくして、ダイユウサクは八木牧場から「AERU」へと移籍した。ダイユウサクが「AERU」入りした直後、ネームプレートはまだ備えつけられていなかったが、放牧地にいたダイユウサクを見て、

「もしかして、あの馬はダイユウサクでは?」

と訊ねた客もいたとのことである。そう特徴があるとは思えない毛色のダイユウサクだが、分かる人には分かるものだ、と職員を感心させた。その後、功労馬牧場計画は、諸般の事情から大幅に縮小されたものの、「AERU」にやって来ていた彼の処遇に影響はなかった。多くのファンを呼び寄せる彼の力は、「AERU」にとっても既に無視できないものとなっていたのである。彼は、あとから仲間に加わったニッポーテイオーとともに、現在も「AERU」でのんびりと余生を過ごしている。