『脇役なるが故に・・・』

 引退して種牡馬となったスズカコバンは、Gl勝ちがあるとはいえ、競走成績が今ひとつインパクトを欠くものだったため、種牡馬としては苦戦を強いられるかに見えた。しかし、スズカコバンは活躍馬を次々と出すことによって、自らの活路を開いていった。

 当初、馬産地における「種牡馬スズカコバン」の評価は低く、産駒たちの多くは、中央競馬ではなく地方競馬へと入厩していった。しかし、地方へ行ったスズカコバン産駒は、予想以上のダート適性を示したばかりか、スズカコバン譲りの勝負根性をレースで発揮した。ササノコバン(旭川・北海道優駿など)、サリュウスキー(金沢・サラブレッドチャンピオンCなど)、ヘイアンリーフ(川崎・関東オークス、大井・東京プリンセス賞)、マサイス(川崎・関東オークス)・・・。地方の基幹レースで活躍したスズカコバン産駒の活躍馬は、枚挙にいとまがないほどである。

 地方では多くの活躍馬を出したスズカコバンだったが、後には97年の武蔵野S(Glll)を制したデュークグランプリも輩出した。デュークグランプリは、他にブリーダーズゴールドC(統一Gll)、東海菊花賞(統一Gll)、ダイオライト記念(交流重賞)も制しており、スズカコバンの代表産駒と呼ばれるに恥じない戦績を残して種牡馬入りを果たした。当初配合相手に恵まれなかったことを考えれば、スズカコバン種牡馬成績は、成功の部類に属するといって良いであろう。

 現在、種牡馬を引退したスズカコバンは、功労馬への助成金を受けながら、富良野の牧場で余生を過ごしている。・・・いまや、三冠馬ミスターシービージャパンCカツラギエースをはじめ、彼と同期の名馬たちの少なからずは世を去り、生存馬もかなり少なくなってしまった。ダート競馬の評価が現在ほど高くなかった時代だったのは残念だが、それでも多くの強豪を輩出したスズカコバンは、幸せな後半生を過ごしたといっていいだろう。

 スズカコバン自身は既に種牡馬を引退してしまったが、産駒のデュークグランプリは、種牡馬生活を続けている。地方交流重賞が整備された現在、ダートで堅実に走る仔を出すスズカコバンの血統は、見直されていいはずである。種牡馬の生存競争が激しい今、デュークグランプリの成功はなかなか難しいだろうが、そのことを承知の上で、細りつつあるマルゼンスキーの直系の血として、ぜひ頑張ってもらいたい1頭である。

 デビュー当初から常勝街道をひた走り、そのまま頂点へと登りつめる競馬界の「主役」たちは、その戦績が経済的価値と直結し、ひとつの大敗が巨大な富の喪失につながるがゆえに、長期間現役生活を続けることは許されないことが多い。その点、デビュー当初は決して目立った存在ではなく、Gl戦線に顔を出すようになってからも図抜けた戦績を残したわけではない「脇役」は、長期にわたってファンの前で走り続け、その分だけファンに愛される存在となることも珍しくない。関西馬が弱かった時代に関西馬の代表格として長期にわたって安定した成績を残し、そのジリ脚も含めてファンに愛されたスズカコバンもまた、そんな「脇役」の1頭だった。

 かつて個性派として活躍し、ファンにも印象を残したスズカコバンだが、その記憶は時の経過とともに薄れつつある。しかし、日本の競馬が続く限り、その歴史に名前を刻んだサラブレッドたちは、主役、脇役を問わず後世に語り継がれる価値を持つ。スズカコバンもまた、そんな価値ある「脇役」の1頭だったことを、私たちは忘れてはならない―。[完]

記:1999年9月18日 補訂:2000年9月13日 2訂:2001年8月17日 3訂:2003年6月8日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/