『最後の戦い』

 宝塚記念(Gl)制覇の後のスズカコバンは、故障に見舞われたこともあり、なかなか実力を発揮できない日々が続いた。宝塚記念を勝ったことで「西の総大将」といわれるようになった彼だったが、実際には宝塚記念を勝つ前と同じように、惜敗続きの超二流馬に戻ってしまったのである。

 しかし、そんなスズカコバンをファンは見捨てなかった。3歳時から堅実に走り続けたスズカコバンの姿は、ファンの信頼を、そして心をしっかりとつかんでいた。

 85年秋、脚部不安を発症して温泉療養に入ったスズカコバンは、7歳になってから復帰したものの、エメラルドS(OP)3着、宝塚記念(Gl)4着、高松宮杯(Gll)4着と相変わらずの成績が続いた。夏を休養にあてた後、秋の緒戦となった朝日チャレンジC(Glll)では、61kgの斤量を背負って、いいところなく惨敗した。普通ならば、年齢的に限界がささやかれても不思議ではない。

 しかし、スズカコバン京都大賞典(Gll)で圧倒的1番人気に支持された。そして、彼はファンの支持と熱い声援に応え、ここで前年の宝塚記念(Gl)以来の勝利を挙げたのである。

 スズカコバンにとって、京都大賞典制覇は、5歳時に続いて2度目だった。4歳から7歳まで、4年間重賞を勝ち続ける快挙も達成した。消長の激しいサラブレッドの世界で重賞級の実力を保ち続けたスズカコバンの成長力は、並々ならぬものがあったというべきだろう。

 京都大賞典を制し、関西のファンたちの熱い期待に見送られて東上の途についたスズカコバンは、古馬の最高峰となる天皇賞・秋(Gl)へと向かった。結果はサクラユタカオーの7着に敗退したものの、彼が記録した1分59秒4という走破タイムは、芝2000mの自己ベストタイムだった。7歳秋にしてなお成長を感じさせるその走りこそ、「老いてますます盛ん」というスズカコバンの成長力、そして意地の結晶だった。

 結果的に、この天皇賞・秋(Gl)が、スズカコバンの現役最後のレースとなった。時計の出る馬場での高速決着に付き合ったのが災いしたのか、脚部不安を発症したのである。スズカコバンはそれでも現役継続に執念を見せ、8歳になってからも調教に復帰したものの、さすがにこのときにはもうスズカコバンの走りにかつての迫力はなかった。結局、スズカコバンはその後レースに出ることなく、引退することが決定した。スズカコバンの通算成績は34戦7勝、重賞は宝塚記念(Gl)をはじめとして4勝を挙げている。