『激しき時代の中で』

 6歳になったスズカコバンに対し、時代はさらなる苦難を強いた。勝つ、ただそれだけのことがこれほどに難しいことだとは、思いもしなかったことだろう。だが、6歳になった彼が歩む中長距離戦線には、1歳年下の三冠馬であり、「絶対皇帝」と称されたシンボリルドルフ古馬になり、参戦してきた。・・・ただでさえミスターシービーを筆頭とするレベルの高い同世代のライバルたちに苦戦していたスズカコバンなのに、それに加えて絶対皇帝までが彼の前に立ちはだかってきたのである。

 スズカコバンの苦戦は続いた。産経大阪杯(Gll)では、三冠馬ミスターシービーステートジャガーとの死闘に遅れをとって3着に終わった。続く天皇賞・春(Gl)では、それまで叩きのめされ続けたミスターシービーには初めて先着したものの、勝ったシンボリルドルフの3着だった。ミスターシービーに勝ったといっても、このレースでのミスターシービーは、1歳下の三冠馬を倒すために「追い込みの三冠馬」という誇りを捨てて捨て身のまくりに出て、玉砕したものである。スズカコバンのことなど「眼中にない」というのが正直なところだったと思われるミスターシービーに先着したとしても、胸を張れるものでもなかった。

 スズカコバンはいつも相手なりに走ってそこそこの結果を残したが、裏を返せば、いつも相手なりにしか走れず、そこそこの結果しか残せないということでもあった。シンボリルドルフミスターシービーがいるレースでもそこそこ、彼らがいないレースでもそこそこ。先頭でゴールすることができない以上、スズカコバンの評価はしょせん「超二流馬」という域を出なかった。

 ただ、そんなイマイチぶりゆえに、スズカコバンが独特な存在感を持っていたことも確かである。前年ミスターシービーシンボリルドルフを向こうに回して戦ったカツラギエースは既に現役を去り、中長距離戦線で「強い関東馬」に対抗しうる勢力は他に見当たらない。強い相手に善戦し、弱い相手に勝ちきれないスズカコバンは、そんな弱さも含め、当時の関西の競馬界の代表だったのである。関西のファンがスズカコバンに送る声援は、いつも暖かかった。