『勝つことの難しさ』

 しかし、その後のスズカコバンは、様々な悲運にも見舞われて、順調さを欠いてしまった。菊花賞を見据えて勇躍向かった京都新聞杯(重賞)で、スズカコバンはレース中に眼に外傷を負い、実力を発揮しきれないまま、カツラギエースの5着に敗退してしまった。おまけに、この時の外傷がもとで、スズカコバン菊花賞まで回避する羽目になってしまった。

 秋に厩舎に帰ってきたスズカコバンを見て菊花賞へのひそかな期待を燃やし、その期待を神戸新聞杯でより確かなものとしていた小林師は、大きなショックを受けた。血統的に「長距離でこそ」と思っていただけに、最大のチャンスを逃したという思い、無念さは強かった。

 同世代の馬たちが菊花賞へ向かう中で、スズカコバン京阪杯から阪神大賞典という裏街道へ向かうことになった。しかし、この頃からスズカコバンは勝ち運に見放され、「好走はするけれど・・・」というレースが続くことになる。

 古馬になってからのスズカコバンは、グレード制導入後初の古馬中長距離戦線を戦っていった。天皇賞・春(Gl)はモンテファストの7着、宝塚記念(Gl)はカツラギエースの2着・・・。神戸新聞杯で勝った後5歳春までのスズカコバンの戦績は、8戦して(0323)というものだった。掲示板に乗れなかったのは天皇賞・春(Gl)だけで、強い相手と戦ってもそこそこの成績は残すスズカコバンだったが、どうしても1着はとれなかった。主戦騎手はいつしか田島騎手から村本善之騎手に変わっていたが、目に見える成果にはつながらなかった。

 スズカコバンが久しぶりの勝利を挙げたのは、神戸新聞杯から1年後、京都大賞典(Gll)でのことだった。女傑ロンググレイスに4馬身差をつけての快勝でようやく重賞2勝目を挙げたスズカコバンは、秋のGl戦線に向けて有力馬としての名乗りをあげた。京都大賞典での勝ちタイムは従来のレコードと同タイムであり、それまで「スピード不足」といわれてきたスズカコバンがいよいよ本格化し、新しい境地を開いたものと評価された。

 ・・・しかし、京都大賞典での勝ち鞍をきっかけに化ける、と思われたスズカコバンは、実際には何も変わらなかった。相も変わらずの勝ちきれないジリ脚に、陣営は差しの脚質がいけないのか、と先行への転換を図ってみたりもし。それでも、残る結果は似たようなものばかりである。

 競走生活が終わってから振り返ってみると、スズカコバンの戦績表は、どちらかといえば好位につけた時より後方待機を決め込んだ時の方がいい成績を残す傾向が見えてくる。第4コーナーで6番手以下にいた時は、必ず最終的な着順を上げてきている。これらの数字は、スズカコバンが直線で差してくる末脚の確かさを物語っている。・・・しかし、それらはすべてデータが出揃った後になって分かった、後づけの理屈にすぎない。スズカコバンの悲運・・・それは、先行させても後ろにつけても、どんな作戦でもそこそこの走りができる器用さにあったのかもしれない。その器用さが、結果的には彼の本当の姿を見失わせることになってしまった。彼は、強力なライバルたちの中で、目立つ機会もないまま埋没していった。