『一線級への飛躍』

 日本ダービーで一線級との力の差を見せつけられたスズカコバンは、その敗北を機に、飯田騎手から田島良保騎手へと乗り替わることになった。スズカコバンは追ってもなかなか反応しないズブいところがあったため、腕っぷしが強く、直線でも馬を強く追うことができる田島騎手に手替わりすることで、きっかけをつかみたいというのが小林師の願いだった。

 日本ダービーの後、北海道で夏を越したスズカコバンは、菊花賞へ向けて神戸新聞杯(重賞)から始動することになった。神戸新聞杯は、形式的にはまだ菊花賞トライアルの地位を与えられていなかったものの、菊花賞を目指す馬たちが多数出走し、実質的には菊花賞トライアルといっていい状態だった。この年の神戸新聞杯でも、出走馬には二冠馬ミスターシービーの名こそないものの、皐月賞、ダービーとも2着のメジロモンスニー、ダービートライアルのNHK杯を制したカツラギエース、前年の西の3歳王者ダイゼンキングなど、重賞では実績皆無のスズカコバンとはレベルの違う実績馬たちが名を連ね、スズカコバンは7番人気に甘んじた。

 しかし、夏を越したスズカコバンの成長は、周囲の予想を上回るものだった。田島騎手への乗り替わりもよい方向に作用したようである。田島騎手にとって、神戸新聞杯といえば3年前に日本ダービーで10着だったノースガストに騎乗して優勝し、その勢いで菊花賞をも制したゲンのいいレースだった。

 田島騎手の騎乗でスタートから好位につけたスズカコバンは、直線入口で先頭に立って逃げ込みを図るカツラギエースをとらえ、さらに後方待機で大外から突っ込んで来たメジロモンスニーの追撃をも凌いで、重賞初制覇を飾った。強敵が集まった中での重賞初制覇はスズカコバンの底力のアップを示すもので、菊花賞への可能性をも切り拓く神戸新聞杯優勝の価値は、スズカコバン陣営にとっては果てしなく大きい・・・はずだった。