『謎の二冠馬にあらず』

 1997年の年度代表馬の選考では、皐月賞(Gl)、日本ダービー(Gl)を逃げ切ったサニーブライアンの他に、牝馬ながら天皇賞・秋(Gl)を勝ち、ジャパンC(国際Gl)2着、有馬記念(Gl)3着と活躍した女帝エアグルーヴマイルCS(Gl)、スプリンターズS(Gl)を連覇した外国産の短距離馬タイキシャトルの3頭が選考に残った。ところが、この3頭の選考では、サニーブライアンは、二冠馬でありながら候補から真っ先に外されてしまった(エアグルーヴタイキシャトルかの論争では意見が割れたものの、結局エアグルーヴに決定している)。

 サニーブライアンが真っ先に選考から外れた理由としては、「秋以降レースに出なかったため、異世代との力関係が分からない」ことがあげられていた。しかし、1991年に同じく二冠を制しながら秋を骨折で棒に振ったトウカイテイオーは、さしたる異論もなく年度代表馬に選ばれている。1991年はGlを2勝した馬が他にいなかったが、それをいうなら1997年だって、Gl1勝のエアグルーヴ年度代表馬に選んでいるのだから、大差はない。また、91年には天皇賞・春(Gl)、阪神大賞典(Gll)、京都大賞典(Gll)を勝ち、宝塚記念(Gl)、有馬記念(Gl)で2着に入り一年通して活躍したメジロマックイーンを選ぶという選択肢もあったはずである。

 そうはいっても、トウカイテイオー年度代表馬に選ばれ、サニーブライアンは2頭の最終選考にすら残れなかった。そうすると、その理由はもうひとつの「大レースを人気で勝っていないこと」に求めるしかないだろう。

 確かに、サニーブライアンが勝ったダービーは6番人気、皐月賞にいたっては11番人気の人気薄だった。その点、皐月賞、ダービーとも1番人気の重圧をはねのけて二冠馬となったトウカイテイオーに比べると気楽な立場だったことは否めない。

 しかし、ダービーのビデオをもう一度見てみると、サニーブライアンが実に強い勝ち方をしていることがわかる。単騎逃げの利があったとはいえ、それは自らレースを支配してのものだから、それは馬の力以外の何者でもない。勝ち時計も、2分25秒9と歴代のタイムの中でも優秀な部類に入るものであり、奇しくもトウカイテイオーのダービーの勝ちタイムとまったく同じである。

 また、この年のダービーはスローペースで前の馬に有利だったといわれるが、スローペースは、裏を返すと差し・追い込みタイプの馬の瞬発力も爆発しやすいということである。現に、サニーブライアンに続く位置にいた先行馬たちは、後続の激流のような追撃にひとたまりもなく呑まれてしまっている。だが、サニーブライアンシルクジャスティスメジロブライトといった強力な差し・追い込み馬たちの追撃を抑え切った。シルクジャスティスはこの年4歳にして有馬記念(Gl)を制し、メジロブライトも翌年の天皇賞・春(Gl)で圧勝しているから、世代のレベルも他の世代に見劣りするものではない。そうすると、この年の二冠馬は、「謎の二冠馬」どころか、歴代二冠馬の中でもかなり強い二冠馬と評価してよいのではないか、と思われる。

 結果として、サニーブライアン年度代表馬の選考からいとも簡単に外されたばかりか、そのことに対し、ファンの間からもさしたる異論は出てこなかった。だが、そのことは必ずしも彼の実力を正当に反映したものではない。サニーブライアンとは、「謎の二冠馬」ではなく「強い二冠馬」なのである。