『いつの日か夢を』

 現役生活を引退したサニーブライアンは、最初、新冠のCBスタッドで種牡馬生活に入った。「二冠馬」という金看板と、必ずしも高くない評価。二つの相克する要素を抱えた種牡馬サニーブライアンの将来は、不透明と思われていたが、実際の種牡馬生活では、初年度から104頭の種付け相手に恵まれ、2年目も100頭近い繁殖牝馬を集めた。

 しかし、繁殖牝馬の量と質とは必ずしも比例しないというのも、馬産の現実である。サニーブライアンの種付け相手を見ると、中央の重賞を勝ったような一流牝馬の名前はほとんどなかった。種牡馬の見切りが異常に早くなりつつある現在の状況では、初年度産駒が走らなければ、たちまち種牡馬失格の烙印を押されてしまうということもある。それだけに、サニーブライアンの産駒のデビューは、重要な意味を持っていた。

 すると、サニーブライアンの産駒たちは、予想以上によく走った。父は一度もダートで走ることがなかったが、産駒は意外なまでのダート適性を見せ、地方で堅実に走る傾向があった。さらに、中央デビューを果たした産駒の中から、愛知杯(Glll)を勝ったカゼニフカレテも現れた。こうした産駒成績を受けて、サニーブライアン種牡馬としての人気も堅調に推移しているようである。

 しかし、サニーブライアン産駒の成績は、これで満足してよいというものでもない。皐月賞、ダービーを勝った二冠馬であり、大種牡馬ブライアンズタイムの産駒にして桜花賞馬の末裔、かつダービー2着馬を伯父に持つ良血馬でもあるサニーブライアンだけに、その子にはぜひ、クラシック戦線での活躍も期待したいところである。サニーブライアンの子が日本ダービーに姿を現す時、果たしてその子は、父をほうふつとさせるような爽快な逃げを披露してくれるのか、それとも父へのイメージに逆らうかのように追い込みを見せてくれるのか。いずれにしても、それは非常に楽しみなことである。さらに欲をいうならば、その時に鞍上が、父と同じ大西騎手ならば、何もいうことはない。ダービーの後に

「実は逃げは苦手なんです」

と言った大西騎手は、サニーブライアン二世で我々にどのような顔を見せてくれるのだろうか・・・そんな日を、心待ちにしたいものである。[完]

記:1999年10月29日 補訂:2000年11月30日 2訂:2001年3月17日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/