『戦場に立つ』

 サニーブライアンのデビューは、3歳10月の東京競馬となった。鞍上は、当然ながら大西騎手である。そんな彼らの初めての戦場は、東京芝1800mの新馬戦だった。

 ブライアンズタイム産駒、ダービー2着馬サニースワローの甥・・・そんな血統背景を持つサニーブライアンだったが、ブライアンズタイム産駒は毎年100頭近くおり、母系も基本的には優秀な馬ばかりである。そんな中で、サニーブライアンの血統だけがそれほど目立つ存在だったわけではなく、彼の初戦は13頭だての3番人気にとどまった。同じレースでデビューした馬の中に、「ダービー馬の妹」として注目されていた馬がいたりして、後の二冠馬としてはあまり目立たない船出だった。

 しかし、サニーブライアンと大西騎手は、スタートしてすぐに先頭に立つと、そのまま逃げて逃げて、府中の長い直線をものともせずに、後続に影を踏ませぬ逃げ切り勝ちを収めた。今にして思えば、このレースは、サニーブライアンの逃げ馬としての資質を暗示していたのかもしれない。大西騎手も、この勝利の後は

「この根性はたいしたもんだ、もしかするとそこそこいけるかもしれないぞ」

と喜び、もしかするとクラシックに行けるかもしれない、と「夢想」したという。